1・17 受け継いだ体温に

 17年という時を経て、息子の同級生マモル君に語りかけます。マモル君、もし今生きていたら今年29歳になりますね。おとなしくて真面目な小学生だったあなたのことですから、きっと素晴らしい働き手となり家族を支えていたことでしょう。優しい夫、あるいは父親になっていたかもしれません。阪神淡路大震災の激震地西宮、木造住宅の一階で暮らしていたあなたは、倒壊した家屋の下敷きとなり還らぬ人となってしまいました。何の予告もない短い人生の終わり方に抗議の声を上げることもなく。あなたの時はあれから止まったままです。

 あれはたしか1年生か2年生くらいの時、息子があなたと同じ住宅の二階に住む直子さんに悪口を言い泣かせてしまったことがありました。仕事から帰り息子からそれを聞いた私は、二人で直子さんの家にお詫びに上がりました。友のいつにないしょげ返った姿を見て、あなたは「どうしたの?」とは聞きませんでした。ただ前の空き地でボールをドリブルしながら、さりげなく様子を見守ってくれていました。あなたがかもし出す控えめでピュアな雰囲気、小柄でいつもはにかんだような表情をしていたあなたのぬくもりを今もありありと感じます。あなたが住んでいた家の跡には、大きなマンションが建っています。遺されたご家族が今どうされているかも分かりません。今日はあなたのご命日ですから、白い百合の花と11歳のあなたが喜んでくださるようなお菓子を買って来ます。

 同じ地域で暮らしていた息子の友だち、血のつながりのない一人を喪うことが、こんなにも痛みを伴うということを、震災前の私には想像できませんでした。震災で、吾が子や親兄弟、愛する人たちを喪った方々の哀しみは計り知れません。6434人の犠牲者にどれだけの数の死を悼む人々が連なっておられるのでしょう。しかし、あるのは痛みだけではありません。あの時の死者たちが喪ったはずの体温を、確かに今も感じます。

 そして、2011年3月11日の未曾有の数の犠牲者が、6434人に続きます。

 わたしたちは、この二つの大地震が起きる前に還ることはできません。犠牲になられた方々の体温を抱きながら、その後をどういきていくのかを問い続けていく、その節目の日が1月17日 今日なのでしょうか。

 マモル君、17年間一緒にいてくれてありがとう。

 

 

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コメント: 4
  • #1

    take (土曜日, 21 1月 2012 00:15)

    ブログ開設おめでとうございます!

    マモル君のエピソードを読んで、忘れていた情景が鮮明に蘇りました。
    思い出すのが怖いのか、僕は未だに震災のニュースを直視できないけど、いつまでも目を背けていてもあかんね。
    思い出させてくれてありがとう。

    望月さんの今後の活躍を応援しています!

  • #2

    望月より (土曜日, 21 1月 2012 21:42)

    あの時子どもだった人たちは、言語化できない分不安や痛みをずっと内向させていたのだと、TAKEさんのコメントであらためて感じました。応援ありがとうございます。

  • #3

    kyoko (火曜日, 24 1月 2012 09:14)


    挨拶よりまず「旅立ち」を聴いてまらうほうが分りやすいのでは?
    たくさんの人に参加してもらいたいので、色々工夫してみてください。
    1月17日は私の誕生日です。母は3月11日です。昨日も地震がありました。

  • #4

    KYOKO様へ 望月より (火曜日, 24 1月 2012 12:46)

     コメント有難うございます。驚きました!これからあなたのお誕生日忘れられなくなりました。「吟遊詩人社ご挨拶」は、ずっと前に録音したもので確かにお気楽な内容ですが、入口からいきなり重い内容もどうかと思ってあれを使わせて頂いています。現在パソコン教室に通い、自分でホームページを工夫できることを目指して研修中です。KYOKOさんのアドバイスが生かせるくらいパソコンが駆使できるようになりますよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。