退職までの10数年、特別支援学級で毎朝続けていたことがある。朝の会で子どもたちと詩の朗読をしていた。年度が始まるまでに1年間を通してお世話になる詩人や詩集、月毎に季節に応じた詩を選ぶ。特別支援学級が3学級あるときは、3人の担任が額を寄せて毎月の詩の選定とその詩から引き出すテーマを決めた。
子どもたちにとても好かれた心に残る詩人は、まど・みちおさんと工藤直子さんだ。工藤さんの有名な「のはらうた」からは、地上の小さな生き物たちの命の詩をたくさんお借りした。毎日の宿題で詩の音読をしてくる子どもたちと、まず発声練習をかねて一斉に音読し、その後その日の日番から順に一人ずつ朗読する。入学後、人前で声を出すだけで涙ぐんでいたゲンキさんは、1ヶ月もすると堂々とみんなの方を向いて朗読できるようになった。暗記が苦手な手足にマヒのあるハナさんは、5年間かけてすすんで暗唱できるようになった。ひたすらオリジナリティーを追求する4年生のユウタロウさんは、登場の仕方や声に変化をもたせたり、ダンスのパフォーマンスをつけてみたりして楽しんでいた。
虐待を受けて育った結果、感情のコントロールができないで、思うようにならない場面で物を投げたり壊したり、人にことばや腕力で当たってしまう子どもたちにも過去数人出会ってきた。その人たちもみんなの前で詩の朗読をする場面は拒まず、素直に前に出て声を出してくれた。赤ちゃんのときから身近な人に虐待されることで、基本的な信頼関係が築けないまま、とても険しい人間関係のとり方しかできないでいた子どもたちだったが、なぜ詩の朗読の番が回ってきたときは進んで朗読できたのだろう?毎日くり返し練習していて、ベンチに座ってさえいれば必ず打順が回ってくる。不意に当てたりはずしたりされず、みんなが耳を傾けてくれる安心感。そして何より詩の力が、その子たちの心が休まる空間を提供していたのだと思う。誰彼の区別なく悪口を言ってはけ口にしていた薫平さんが、詩の朗読をするときはどこか誇らしげで、頬を上気させて誰よりもすらすらと詩のことばを放っていた。「この子がもつ本来の姿はこれだ!」と感じさせてもらった瞬間だった。
工藤直子さんが、一連の「地球へのほめうた」を作ってくださったお陰で、どれだけの日本の小学生がより季節を身近に味わい、生き物の命を感じることができただろうか。我が仲間たちは、ストレートに生き物の魂を受けとめ声に出す喜びを獲得し表現してくれたと思う。
その陰でお母さんたちが音読の宿題を応援してくださっていた。同僚は、絵本を拡大コピーして毎月教材を作った。その月担当の教師が、その詩の特徴から国語や生活の授業を発展させる試みを創造し提案した。力を合わせて子どもたちを支え見守ってくださった人々にあらためて感謝の気持ちが湧いている。
工藤直子さんの詩に再会したきっかけ等々、次回につづく・・・。
コメントをお書きください