天からのGIFT

 4月15日に母の三回忌が無事終わった。倉敷から事前に長男一家が逗留、当日姉夫婦と次男一家も来た。ごく身内だけのささやかな法事であった。

 母のお陰で別々に暮らしている親族が集い、住職の法話に耳を傾けるという日常生活にはない体験をし、歓談しながら膳を囲み、幼い人たちの成長ぶりを共に喜ぶことができた。「母は亡くなってからも、私たちのために働いてくれている!」と遅ればせながら気づくのである。そういえば、認知症が顕著になって身の回りのことができなくなっていたときも、母はわたしたちの心を磨くために働いてくれていた。勤めていた私には、ふだんは休みの土曜日しか寝屋川の母に会いに行けなかったのだが、南向きの部屋で母の大好きな童謡を一緒に歌いながら、乾燥肌の母の手や顔や髪のケアをしていたひとときは、忙しく心の余裕を喪いがちのわたしにとっても、潤いをくれるものであった。母の心の流れやからだの動きに合わせてゆっくり待つこと、ささやかなことを共に喜ぶことなど、仕事のうえでも大切な心の幅をたっぷり広げることの楽しさを、母がもう一度味わわせてくれた。存在するだけで、人は役割を果たすことができる。

 生まれたばかりの乳呑児を抱いたときは、赤ん坊が目を開けただけで欠伸をしただけで、命の根っこに触れたような喜びがじんわりと湧いてくる。ただ生きているだけで、何もしなくても人はたくさんの仕事をしているのだ。

  

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コメント: 3
  • #1

    TE-2 (火曜日, 17 4月 2012 22:02)

    本当にそう思います。天からのGIFTですね。
    小さい子も生きているだけで誰かを癒していますからね。

  • #2

    kyoko (土曜日, 28 4月 2012 13:15)

    私も6月が父の三回忌です。時とともに父を思い出す回数が減ってきたように思います。実り多い活動的な日々を送っておられるあなたの時間をいただくのは申し訳ないような気もしますが、日程をメールしますので、スケジュール調整お願いします。

  • #3

    望月 (土曜日, 28 4月 2012 19:02)

     三回忌:日ごろ離れていた親族が集い、故人に想いを馳せ、遺された者たちが無事に過ごしていることに感謝しながら近況を報告しあえる良い場ですね。お父様の三回忌が、素晴らしいときでありますよう、お祈りしています。ずっと前から6月にkyokoさんにお会いできることを楽しみにしておりました。こちらこそ、久々に身内の方々とお会いになる貴重なときにすみません。よろしくお願いいたします。