若狭 明通寺 中嶌哲演氏と再会(その1)

 昨年の6月、京都で若狭小浜の明通寺のご住職 中嶌哲演氏のお話を伺う講座があった。中嶌氏は病み上がりの小さなおからだから、清浄な気を発しておられた。氏は長年にわたり原発に反対する小浜市民の会を組織し、若狭に林立する原発を止めるために半生をかけて来られた方である。口にはされないが、原発賛成派と反対派で村や檀家が二分される軋轢や、関電の札束攻撃などの陰謀術策渦巻く険しい道のりは容易に想像できる。そのようなぬかるむ道を歩いて来られたはずの哲演さんは、身に余計な夾雑物を纏っておられなかった。人として宗教者として苦悩し考えながら、土地の人々と共に若狭の美しい自然と海の幸を守るために進んで来られた。その凜とした品格あるたたずまいを思いだすだけで、どれだけ支えられたことだろう。そのような宗教者と出会ったのは、初めてのことであった。

 

 先日有機野菜を宅配していただいているところから、野菜とともに若狭をめぐる「原発探検バスツアー」のお知らせが届いた。美浜原発や高速増殖炉もんじゅを見学した後、小浜の明通寺に行き、中嶌哲演氏のお話を伺うというコースであった。私は定員45名のバスツアーの最後の一人だったようだが、5月12日その企画に参加することができた。

 

 今年3月、哲演さんは福井県庁前で大飯原発再稼動の動きに抗議し、30日まで1週間の断食を遂行されていた。確かに一まわり痩せておられていたが、足さばきも軽やかでお顔の色も昨年お会いしたときより艶やかであった。

「断食をしたときは、『少欲知足』欲を少なくして真実の満足を得るという感じでありまして、決して苦行をしたとは思っていません。むしろ普段よりもよけいに心身穏やかに過ごせました。」とおっしゃっていた。「自己中心的に欲望を肥え太らせると必ず弱い人を踏みつけにします。」とも言われた。

 

 昨年の講座で、哲演さんは岩波文庫の「ブッダのことば」と並べて渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)を推奨されていた。異邦人たちが見た幕末の日本人は、子どもを可愛がり、両親や年寄りを大切にし、洗練された趣味と習慣が普及するなかにいた。貧しくとも生き生きしていて清潔で、心まで貧困でない人間をみたのは異邦人たちにとって衝撃であったようだ。地を耕し、獣を追い、漁をし・・家族が睦まじく生きていけることに喜びを感じる日本人の原型がそこにあったはずだ。

 1853年ペリーが開国を求めてまだ159年しか経っていないということに驚きを感じる。その短い間に「西欧文明の光と影」を学び、急速に取り入れてきた日本。欧米文明の影の部分を学んで取り返しのつかない結果をまねいた年が、広島と長崎に原爆を落された1945年と、福島原発事故が起きた2011年3月11日だという哲演さんの括りかたは、とても分かりやすかった。

 哲演さんのお話は、根本的な人間の生き方を問う姿勢に貫かれていた。幕末の開国以来、強さや物質的豊かさを追い求め続けた結果犠牲にしたものを償い、もう一度喪ったものを取り戻し回復させていくのか?それともこのまま強さと物質的豊かさを求め、地球の終末まで突き進んでいくのか?国民あげて立ち止まり選択するときが今ではないだろうか。黒船来航から159年後、日本が再び迫られている選択肢なのだ。