トモさんと送る夏

 今年もトモさんは、わたしたちのところに一泊分の荷物と最高の笑顔を運んで遊びに来てくれた。わたしのクラスの最上級生12歳の陽気な少年だったトモさんは、今は32歳の誕生日を迎えたばかりの青年である。20年もの間、コミュニケーションの達人である筆まめなお母様のお陰で、トモさんと心をつなぎ続けることができた。毎年会うたびにトモさんはゆっくりと落ち着いた大人になっていっている。逆にわたしたちは急速に大人気なくなっている。それは言い換えれば<老化>と言うのかもしれないが、ふだんはまだそれを冷静に意識化できていない。

 今年トモさんがわたしにくれた一番の楽しみは、一緒に香枦園の海辺と夙川河畔を散歩して図書館や生協に行ったことであった。万歩計をポケットに入れて一本の日傘に二人で入って散歩した。日常生活に近い何でもないことが、彼と一緒だと魔法にかかったように楽しくなる。早春の陽を受ける波の輝きと夏の終わりの波の光はやはり違う。光の粒が今の方が大きく見えるのは、太陽にそれだけ近いからだろうか。光の色はプラチナから金色にはならなかった。大粒の水晶のように白く透明な輝きを放っている。ちょうど満ち潮の時刻であった。河口から逆流してくる満ち潮の勢いに圧倒され、眩暈しそうになる。「ほらほら、カルガモのお母さん!今年は7羽も赤ちゃんが生まれたのよ。」など云って指をさす。いつも母鴨に等間隔でついて浮かんでいた7羽の姿がない。あっと言う間に親離れしてしまったのだろうか。こちらの気分も満ち潮になっている。トモさんは、少々のことでは興奮しない大人になっているのだが、二人で散歩するときは、チャーミングな懐かしい笑顔を見せてくれた。

 暑かったので図書館に立ち寄り少し涼んでから、香露園コープにたどり着いた。トモさんは自分のお小遣いを持って来ているので、飲み物とおやつを慎重に選んで自分の籠に入れて買った。帰り道で彼は、片手に自分のおやつ、もう一方の手で私の荷からスイカを取って持ってくれた。頼りになる。

 往復5000歩の、一歩ずつ味わいのある散歩だった。あれだけ喧しく鳴いていた油蝉の声はもうない。ツクツクボウシの哀愁漂う声を聴きながら海岸に添う遊歩道の階段を降り、二人の散歩を終えた。