海辺の町に暮らす~瓦礫処理予定地より10キロ地点!

 関西から転勤で東京へ引っ越された友人ご夫婦から電話があった。お送りした望月逸子の詩の朗読CD「たいせつなものへ」についての有難いお電話であった。小中学生だった3人のご子息が、もう大学・高校・中学生になっておられるという。

 お二人のお声をま近に聴くことで、不思議なことに離れていた歳月が急にリセットされて同じ居場所に戻していただいたように感じた。お連れ合いのヤスコさんが、私の拙いブログの中のユリカモメが半年ぶりで飛んで来たときの記事「おかえりなさい」を読んでくださって、我が家から見えた内海の風景を懐かしがって涙ぐんでくださったそうだ。それを伺ったとき、風景のもつ偉大な力を改めて思った。

 

 私は土地を耕すことも漁をすることも狩をすることもなく、自然とはただその中に暮らし、<見る・聴く・触れる・匂いを嗅ぐ・味わう>という五感を通じた関係しか切り結べていない。だがこのわたしを包んでいる風景から、どれだけ大きなエネルギーを頂いていることだろう。風景のなかに暮らすことは、<生きる>ことそのものである。ここで見たこと感じたことをわたしの詩の核にしてきた。

 

 大阪市が岩手県の災害廃棄物を受け入れて燃やすことになった舞洲ごみ焼却場は、私の家から10キロメートルのところにある。

 今まで、いかなるレベルであれ、放射能を含む廃棄物は燃やさず厳重に管理することが法律で定められていた。被災地でも燃やさないでそのまま再利用しようというプランがあるのに、法律をやすやすと踏み越えてまで、なぜ大阪市は放射能汚染瓦礫を高い輸送費のかかる広域で受け入れ燃やそうとしているのだろうか?

 阪神淡路大震災を体験した阪神間に住む者は、埋立地の液状化現象や、コンクリートがいかに脆いものかを目の当たりにしてきた。廃棄物の護岸の亀裂から汚水が流出し、大阪湾や瀬戸内の海に取り返しのつかないダメージを与えることは、素人の私にも想像できる。地下水や土は?海や土に生きている人たちの生活はどうなる?

 空も水も土もつながっている。大阪市だけが決めて進める問題ではない。

 

 友人のヤスコさんが東京から懐かしんでくださったことで、今居る場所と風景がよりかけがえのないものに感じられ、わたしたちの世代でそれを放射能に汚染させるという犯罪に加担してはならないという思いを強くした。 

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コメント: 2
  • #1

     ヤジロベー (金曜日, 16 11月 2012 01:00)

     とっても寒くなったのは、晩秋というだけではないような昨今ですね。
    大阪のガレキ説明会では、4名の市民が権力に暴力的に連れ去られました。  海や大地が、人間だけの物でない事にどうして気がつかないのだろう・・・
     寒い季節を心と体でしっかり感じつつも、自分の<声>を<祈り>をあげ続けたいですね。せっかく生かされているのですから・・・ お体大切にー

  • #2

    望月です (金曜日, 16 11月 2012 06:40)

     尼崎で有機農法をされている女性は、大阪市環境課への申し入れの際、500グラムの土とペットボトル一杯の地下水を持参し、泣きながら訴えられたそうです。「この大切に育んできた土と水が放射能で汚染されたらどうやって元に戻してくれるんですか?」                   土が吾が子のように大切にされ、水が神のように敬われた時代を取り戻したい。