年の瀬をまたぐ前に

 2012年に有難う。穏やかで平和な年だったから「有難う」なのではない。2012年は、家で独り音楽を聴き、詩を書き朗読の練習をすることだけで一日過ごせてしまうお尻の重い私を外に出し、たくさんの人に出会わせてしまったうねりのある一年であった。

 

 新聞広告で、若松丈太郎氏の詩集「ひとのあかし」の帯のことばを読んだのが、その後私に起きた一連の出来事の始まりだったのかもしれない。「フクシマで起きていることをすべて18年も前に見通して歌った詩人が、ここにいる。2011年3月11日以降にこの詩と出会う読者はみんな驚嘆して、鳥肌が立ち、読み返して再び驚き、『予言だ』とささやく。ぼくは100回以上読んで、それでも鳥肌が立ち、若松さんの見事な構成と描写に、なんとか英語でも近づこうと翻訳に励んだ。そしてやはり『予言だ』と繰り返し言った。」(アーサー・ビナード)

 この詩集「ひとのあかし」については、以前当ブログで紹介させていただいたことがある。私はこの新聞広告に出ていたアーサー・ビナード氏の言葉を読み、その日のうちに対訳詩集「ひとのあかし」を手に入れた。そして、若松氏の詩とアーサー・ビナード氏によるその英訳の両方に強い感銘を受けた。二人の本物の詩人の魂が出会い編みだされた詩集は、静かな気迫と哀しみに満ちていた。インターネットで調べると、アーサー・ビナード氏が、その翌月の2月12日に<さよなら原発ヒロシマの会>の発起集会を開催されることが分かり、彼にヒロシマで会うことを決めた。

 アーサー・ビナード氏を軸として、私が10代の頃から尊敬していた詩人の石川逸子氏や、峠三吉の弟子でかって詩集の書評をさせていただいた御庄博実氏が繋がっておられることが分かり、不思議なご縁も感じた。

 「ひとのあかし」は少々多目に手に入れ、身近な友人やドイツの反核運動に長きにわたり関わっているドイツ人の旧友にも送った。

 「ひとのあかし」のきっかけで動くことで、かって結んでいたつながりや、つながりたいと思っていた方たちとのネットワークが息をし始めた。砂漠の涸れた用水路に、春の雪解け水が流れだすように、人との交流がわたしの心を潤し発芽を促した一年であった。

 

 3.11以後生まれた私の詩を、どうしても今年中にアルバムにまとめたいという願いも、「たいせつなものへ」という音楽にのせた詩の朗読CDとして、今年の10月に結晶させることができた。そのCDに対して、多くの方々が温かく受けとめて 耳を傾けてくださり、あつかましいカンパのお願いにまで応えてくださった。感謝の気持ちで一杯である。

 心から強く願えば叶うということが実感できた一年であった。体力も財力もなく、機転も利かない無名の詩人が、原発事故後のフクシマの人々に対して何ができるのか、ずっと考えていた。そして出た結論が、私家版の私の朗読CDにカンパを頂いてフクシマに送ることだったのだ。幸い<子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク>の代表佐藤幸子氏と、明石の講演会で出会うことができ、そのルートも繋がり、皆様のお陰で第一回目のカンパも実現した。

 

 あと30分で始まる来年、今年つなぐことができたネットワークを涸らすことなく、静かになすべきことを持続させていきたい。どんな<冬の時代>であっても、一人でもできる仕事をこつこつ積み上げ、自分の軸足を失わないでいたい。そうすることで、今年出会った皆様方とより強く繋がり、学ばせていただきながら前に進めるように思う。

 

 今年、吟遊詩人社・望月を支えて下さいましたすべての皆様に深く感謝し、皆様方の更なるご発展とご健勝をお祈り申し上げます。一年間本当に有難うございました。合掌