詩と音楽のコラボレーション~作品が誕生するまで~

 前回「森と暮らすどんぐり倶楽部」での様子をレポートした。あれは散文だが、今「早春の森に行ってきました」という詩が結晶しつつある。

 「詩と音楽とのコラボレーションは、どのようにして生まれるのですか?」と聞かれることがしばしばある。ちょうど今、現在進行形の素材があるので、どのような創作過程を通過しているかを改めて辿ってみることにした。

 旅の後、ずっと胸のあたりに詩の雲が漂っていた。「ことばになりたくてしかたがない、詩の種」とでも云おうか。とにかくそれをことばにしてみる。どんなに荒削りな表現でもかまわない。まずアウトラインを創り、次にこの詩を支えてくれそうな曲を選ぶ作業に入る。今回は、8曲ほどの候補から一つを絞りだした。いつもより、曲の選考に時間を要したと云えるだろう。

 「早春の森に行ってきました」というタイトルではあるが、単なる自然詠ではなく、美しくかけがえのない自然を一瞬でだいなしにしてしまう原発への批判が底に流れている。早春の清らかさと、マグマのような強い負のエネルギー、その両者を感じさせる音楽を探したのだ。曲を流して朗読をしてみると詩と音楽との相性はすぐ分かる。

 最後に残った曲は、イタリアのバロック音楽、タルティーニ作曲「悪魔のトリル」であった。 15年以上前に出会った曲だが、わたしの詩が求めていたのだろう。心のアーカイブからちゃんと出てきてくれた。

 次に曲に合わせて何度も繰り返し詩の草稿を朗読する。声に出すと、朗読にそぐわない無駄なことばが面白いほど弾かれていく。彫刻家が鑿を振るうのと同様に、ペンで要らないことばを削り取り仕上げていく。CDラジカセの音のカウント表示をフレーズ毎に原稿の余白に書き込み、再度それに従ってことばと旋律との間合いを確認する。ことば、曲、そして相互のタイミング、その三つをすべてからだに入れてしまうことが要求される。

 年々記憶力は怖ろしく低下しているが、繰り返すことしか良い練習方法は見つかっていない。自転車をこぎながら、浴槽に浸かりながらなど様々な場面で練習をしている。

 暗唱できると次は立ち方、声の表情や、動作などに変化や工夫を加えることができる。いつもそんなことをしながら本番を迎えている。たった一人でする身一つのパフォーマンスであるが「これで良し!」と思えたことはまだ一度もない。