兆し

 耳慣れていたはずの曲が、初めて出会った旋律のように響くときがある。バッハのブランデンブルグ協奏曲は、バロック音楽の代表作のように有名で、今まで何度も生の演奏を聴いたことがある。だが、祝祭曲らしい威勢のいい出だしの感じは、私の詩の世界とちょっと違っているようで、今まで特別聴きこんだことはなかった。

 2月になって暖かい陽の光が眩しい日、気持ちも温まったのか以前から気になっていた芦屋の喫茶店に一人で入った。入り口に「おいしい珈琲と美しい音楽をどうぞ」という木の札がかかっているのだ。カウンターで珈琲を飲んでいるとき流れてきた曲が、バッハの<ブランデンブルグ協奏曲第五番ロ短調二楽章>であった。フルートの音色が天上から降って来るように聴こえ、不覚にも涙が零れた。お店の人に訊ねると、カール・リヒターが指揮をしながらチェンバロを演奏し、フレール・ニコレがフルートを吹いている盤だという。そのCDは幻の名盤でとても高価な物らしいが、中古の英語版を安く手に入れることができ、その楽章を繰り返し聴いた。

 

 あと何回<光の春>を味わい、そこに流れるこの楽章に耳を傾けることができるかは

わからないが、命の兆しがあちこちに萌えはじめるとき、この楽章を心に抱いて詩がひとつ生まれた。