ほしけりゃお食べ

 父も母もこちらの岸辺の人ではなくなって久しい。最近4歳くらいの記憶とともに父や母のことを思い出すようになった。今朝ベランダのミニトマトの苗に水をやっていた。トマトの茎を支柱に寄り添わせた後、手に移ったトマト独特の青い匂いを嗅いだとたん「ほしけりゃお食べ。」という父の言葉が甦った。

 5歳になるまで、木造一階建ての一軒家に住んでいた。戦時中に母は配給物資を運んでいる時に流産をしている。戦後すぐ生まれた長女は、母の乳の出が悪くわずか5ヶ月で亡くなっている。父はその後生まれた二人の娘に対して、「ひもじい思いはさせない。思い切り遊ばせたい・・。」など、きっと彼なりの豊富を抱いていたに違いない。白つめ草が咲いていた庭の南側に、父は木製のブランコを手作りで建ててくれた。東側には家庭菜園を作っていた。覚えているのは苺と豌豆と、トマトである。他にナスやジャガイモなどもあったかもしれないが、4歳の子どもの意識下にあったのがその3種類の作物であった。せっせと鍬を動かし畑仕事をしている父に、上手に甘える術を知らないわたしは「これ食べていい?」とトマトを指して尋ねた。父は顔を上げて「ほしけりゃお食べ」と機嫌よく返事をしたのであろう。わたしは本当にトマトがほしかったわけではなかったのだが、指差したトマトをゆっくりもいだ。もぎ取られたトマトのへたが強く匂ったことが記憶の底に眠っていた。日中のもぎたてのトマトは生ぬるかった。きっと私は「おいしい!」などと父が喜びそうな言葉を一言も発っしたりはしなかったと思う。60年間そのときの「ほしけりゃお食べ」という父のことばをその後黙ってずっと噛みしめてきたことになる。