美味しい空気をいただくとき

 お久しぶりです。ブログの枠組みを新しいシステムに変更しようとしましたが、新しいものには全く馴染めず大失敗してしまいました。連休に倉敷の長男宅に招かれていましたので、コンピューターの仕事をしている長男の連れ合いに、元の設定になんとか変えてもらいました。♪やっとブログコーナーを再開できます♪「あなたのブログは、字が多くて読みにくいわ。」等々・・、親しい友人たちに注意を受ける事もありますが、随筆のネタ帳として使っています日記のようなもので、この形式が一番落ち着きます。これからもどうぞ又、このあばら家をお訪ねくださいませ。

 マンションの東端にある我が家の緑の環境は、決して良好とは云えません。長細い箱庭のようなプランターが、ベランダの東面と南面に続いていて、足元にジャスミンや紫陽花等の植木の鉢がずらりと並んでいるだけです。それでもその僅かな土と緑に触れているとき、季節毎に違う風と空気を味わうことができます。前回は聴覚の愉しみについて触れましたが、良い空気を吸い肌で空気を感じる喜びというのも、捨て難いものです。朝は初秋の冷気。昼は空気が熱を帯びてきて心もからだも温めてくれます。

 でも近ごろ至福のときは、長く続きません。初秋の空気を吸う幸せを感じた瞬間それとセットになっているように、今も放射能管理区域並みの線量の地域で暮らす人たちのことを必ず思ってしまいます。去年は橋下市政による強引な瓦礫焼却が目の前の湾の向こう岸であり、ベランダでの至福の時は封印せざるを得ませんでした。<空気を吸う自由>を奪われるということの深刻さのほんの一端を味わわせてもらいました。『「生きる」ということは「息をする」から生まれた。』と、つるまきさちこさんがご著書に書いておられたと思います。(20代の記憶ですので本の名前が正確にはでてきません。)日本中どこに住んでいても、どこかの原発からの25キロメートル圏内に入ります。ひとたび原発事故が起きると私たちは安心して息を吸う自由・安心して生きる自由を喪なってしまうのです。

 あっ、また長くなってしまいました。良い秋の午後をからだいっぱいに感じてお過ごしください。