20年の歳月を振り返る

 皆様明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 正月は長男夫婦が三歳と七歳の女の子を連れて帰省しており、久しぶりに小さい人の声や温もりに包まれて過ごすことができた。

 三が日が終わり、静かになった今朝。早朝の冷たい空気に触れると、ふとあの日が蘇る。阪神淡路大震災で被災してもうすぐ20年目となる。 

 私は家族を喪うことはなかったが、家具が打ち重なって倒れてきた子供部屋のベッドに、前日まで長男が寝ていた。それは成人の日に続く連休であった。岡山で下宿しながら音楽高校に通っていた長男は、震災の前日まで帰省していたのだ。もしもう一日長く彼が激震地の西宮の我が家に居たらどのようなことになっていたかと思うと、今も身震いしてしまう。 

 

 あの時ガス電気水道、すべてのライフラインが止まった。ひとまず近くの中学の体育館に避難したが、どんなに頻繁に余震があっても自宅の方が気持ちが落ち着くので、すぐに家に戻った。避難所でも自宅でも、当時一番困ったのはトイレに流す水が出ないことであった。幸い私は、風呂の残り湯を再利用するために、バスタブの湯を前夜すぐに流していなかったので、それがとても助かった。風呂の残り湯を翌日新しく湯を入れるまで流さない習慣は、それ以来ずっと今まで続いている。 

 あの震災のとき、人は倒壊した家屋の跡地に家を立て直すことができた。二重ローンなどの問題が蔽いかぶさり、確かにそれは過酷な体験であったが、フクシマのことを重ねて考えると、やり直しがきくというのは有難いことであったのだ。三年九ヶ月以上生活の拠点を奪われ、仮説住宅で年を越された人たち。家庭の事情で避難できずにフクシマに残り、日々放射能という見えない敵と闘い続けておられる人たちに想いをはせる。もうすぐ一月十七日、阪神淡路大震災の二十周年記念日がやってくるが、その日をフクシマとより強く手を結び直す節目の日とも思う。