《 原発事故で生じた汚染土を道路や園芸用の土として全国で再利用!? 》

  最近「とうとうこの国は、そこまで愚かな政策を考えなければならない処まで追いつめられているのか?!」と、驚きと同時に情けなく感じたニュースがありました。

 原発事故で汚染された土を、政府は道路や園芸用の土として全国で再利用する計画を立てているというのです。一瞬耳を疑うようなニュースでした。

 「痛み分け」という言葉をよく耳にしますが、放射能を帯びた土を持ち出したり、全国に拡散することは、法律で固く禁じられていることではないかと思います。簡単に汚染土の痛み分け等が、できるはずがないと思うのです。しかし政府自らが法を犯さなければどうにもならないほど、この8年の歳月で福島原発事故で生じた汚染土は、溜り続けているのでしょう。

 政府が捨てようとしているのは、単に法律という決まり事だけでななく、人間が人間で在り続ける為の骨組み、「人間の箍(たが)」ではないのかと感じました。

 政府の取るべき道は一つです。第二の原発事故を出し、これ以上原発事故の被害者や放射能汚染地域を拡大する前に、核廃棄物というリスクを背負う原発を、「ベースロード電源」に据え続けてきた誤りを認め、多くのヨーロッパ諸国のように、風力や太陽光エネルギーなどの自然エネルギーに転換するのです。

 失敗をしてそれを胡麻化すのは幼児期の子どもならまだしも、大人それも一国の政府のすることではないはずです。

  

《 3・11 神戸からの祈り 》

  今年も3月11日が巡ってきました。私たちは、毎年この日の夕方、三宮のマルイ前広場に集い、『3・11神戸からの祈り』という会を催しています。黄昏時にキャンドル点灯が始まります。それぞれが持ち寄り、大きく「3・11」の形に並べたキャンドルに、一斉に灯が点ります。

 

 私は今年も拙詩『祈り』を、コラボ相手のバッハの無伴奏チェロ組曲第五番 ハ短調に合わせて朗読させて頂きました。詩の中で毎年変化する部分があります。死者・行方不明者・避難者の数を述べるところです。

 今年は、「死者15897人、行方不明者2533人、避難者52731人。」という数を調べて覚え、声にしました。避難者の数は、4年前の267419人から激減しています。そして行方不明者の数が減り、その分死者の数が増えています。これらの数には、お一人お一人の人生があり家族があると思うと、数字にも命が宿っている様に思え、疎かにできません。まるで受験生のように、空で言えるまで必死で数を覚えました。

 

 このブログを綴っている今、ドンという音と揺れを感じました。テレビをつけるとやはり地震があったようです。

 この地震大国で、しかも大きな地震や津波に襲われるとどうなるのか、改めて痛感させられている日本で、未だに「原発を主要なベースロード電源とする」と云い続ける政府が居座っていることに、怒りや口惜しさを覚えます。

 

 樋口英明元福井地裁裁判長の、関西電力の原発再稼働に関する判決文に、

「豊かな国土と そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、それが出来なくなることが、国府の喪失であると当裁判所は考えている。」という有名な一文があります。

 

 今の政府が大切にしようとしている「国富」は、少々国民を原発事故で犠牲にしてでも得たい、ごく一部の人たちの財産であり、それを「国富」と呼ぶのにはかなり無理があると言わざるを得ません。

 

 来年の3月11日は、今より少しでも私たちを取り巻く環境が良くなっている事を、強く祈ります。

 

 

《吟遊詩人社3月の予定》

3月3日(日) 武藤類子さん講演会《福島原発事故から8年》

        神戸市勤労会館 403&404号室 13:30~16:00

 

3月11日(月) 《 3.11神戸からの祈り 》

         夕方、三宮マルイ前に集合しキャンドルを点し

         3.11の犠牲者への追悼の集いを行います。

         詳しくは、追ってお知らせしますので、ご予定ください。

 

        

《 詩誌『兆』との 有難いご縁 》

  ずっと一人で《詩と音楽のコラボレーション》の試行錯誤をして参りました私にとり、思いがけなく光栄で有難いことが、最近ありました。今年から『兆』という詩誌に参加させて頂くことになったのす。

 今までは短歌結社『未来』に所属していました時の近藤芳美門下の大先輩、間鍋三輪子さんが主催されます『縄葛』(つなね)という詩歌誌に拙詩の投稿をさせて頂いていました。         

 私以外の投稿者は皆、間鍋三輪子さんの短歌のお弟子さんです。不思議と詩誌との繋がりはずっとありませんでした。 

 「詩と音楽のコラボレーション」という独自の試みを、20年ばかりしておりますので、「どうしても詩誌に所属したい」という気持ちが、心の底から湧いてこなかったのかもしれません。

 

 『兆』は、私が朝日歌壇に初めて投稿します時に、自分で作ったペンネームの由来であります石川逸子さんが所属されています詩誌です。

 私が逸子を名乗ることなど、本当はとても畏れ多いことなのですが、朝日歌壇に採用されることはごく稀であり、もともと「無名者の歌」というコンセプトを大切にする朝日歌壇投稿の場であったが為に、できたことではなかったかと思います。

 35年ほど前に望月逸子のペンネームで朝日歌壇に投稿していました時、私の拙い短歌作品を採用して下さる選者が、ほとんど短歌結社『未来』主宰の近藤芳美氏で、そこから私の詩歌の道の入り口が開かれました。

 

 しかし、2011年3・11から、私を囲む世界も、そこで生きる私自身も変わりました。それまで当たり前に思って立っていました足元が、どれだけ危うい地盤の上であったのか、遅まきながら思い知らされた訳ですから、変わらないわけにはいかなかったのです。

 「原発に反対しておられる詩人の先輩たちと会いたい!!」と、心からその時思いました。

 

 人見知りが強く、お世辞にも行動的とは言い難い私でしたが、広島の原爆資料館で原発に反対する会があるという情報を得ますと、すぐさま新幹線に飛び乗り、広島まで一人で出かけて行きました。      

 

 そこでアーサー・ビナード氏や、御庄博美氏という広島の地で原発と真っ向から戦っておられる詩人たちと出会わせて頂きました。

 石川逸子さんは、その御庄博美さんとの共著で2004年には『ぼくは小さな灰になって』2012年には『哀悼と怒り 桜の国の悲しみ』という詩集を上梓されています。

 御庄さんと出会った直後に初めて石川逸子さんにお便りさせて頂きました。きっと逸子というお名前を、勝手に使わせて頂いているお詫びも、その時したのではないかと思います。

 石川さんは、不躾な突然の私からの便りをとても温かく迎えて下さり、それから私にとりましては一生の財産とも云えます石川逸子さんとの有難いご縁が生まれました。

 石川逸子さんは、上記の御詩集以外にも『たった一度の物語~アジア・太平洋戦争幻視片』という詩集や、『風のたより』という個人誌、所属されています詩誌『兆』をその後ずっとお送り下っさっています。

 

 『兆』の先輩方は、皆さん第一線で詩の講座の講師をされるなどご活躍されています素晴らしい先達です。

 私にとり、大変遅い出発ではありますが、これからは素晴らしい先輩方から学ばせて頂きながら、全力で詩の創作を続けて参りたいと思います。

 

 勿論、私が〈吟遊詩人〉であることは一度も忘れることはありません。創作中に音楽を流し、その曲にのせて朗読しながら推敲しており、今も私の詩には、もれなくコラボの相手の楽曲が底に流れています。

 

 詩誌『兆』の一年生、望月逸子。遅いスタートではありますが、気持ちは新入生です。どうぞよろしくお願い申し上げます。 

 

《ファミリーヒストリーの中の太平洋戦争》

 前回私の身体的な事情をお話ししてしまいましたが、私の主治医はとっても人気の先生のようで、なんと5月まで手術のスケジュールが詰まっているらしいのです。それで、私の体の中で下垂し、他の臓器の邪魔をしている問題部分への手術は、5月に延期されてしまいました。早くすっきりしたかったので手術の延期は拍子抜けしましたが、お陰で良かった事もあります。

 

 今、毎日早朝から詩を書くことに集中しています。冬眠を迎えるリスが巣穴に木の実をため込むように、拙作品を次々に貯蔵しています。締め切りギリギリに仕上げた作品より、貯蔵することで詩が発酵し、もっと良い味になってくれることを期待したりしながら。こういう時期が途中で中断させられるより、少しでも長く続いた方が、本当は有難いのです。

 

 作品に共通するテーマは『ファミリーヒストリーの中の太平洋戦争』です。きっかけは、終戦の年に生まれ、肺炎をこじらせてたった5か月しか生きられなかった姉の倭文子(しずこ)のことを詩にした『米の磨ぎ汁』です。

 それは子供のわたしが、当時母から聴いたことを手繰り寄せながら書いた作品でした。

 続いて『伯父の背中』では、高校生くらいのわたしの眼からみた、かつて日本軍兵士として中国大陸に行った伯父のことを書きました。

 

 そして今、ようやく父に辿りついたところです。父が逝ってしまった時、私は乳呑み児を抱えていました。

 「今ならゆっくり父に熱燗のお酒を勧めたりしながら、大人同士の話ができるのに。」と、残念ではありますが、詩というタイムマシンで、父とかなり突っ込んだ話ができ、フ~と一息ついたところです。

 

 娘や姪にあたる私が詩を創作する現場に、亡くなった縁者たちが界を跨いで応援に来てくれていると思い、彼らに敬意をもって創作中です。

 

《  吟遊詩人社2月の予定 》

 実は、今この場所に《2月の予定》が書けません。大晦日の夜、私の身体的な問題が突然表面化し、芦屋の市民病院に駆け込むという自分でも驚くような事態が起きました。幸いすぐに小康状態を得まして、食欲もあり今は普通に日常生活を送っております。              

 明日診察を受け今後の見通しが分かると思います。                       

 息子たちがお腹に居たころの揺籃、現在完全に不要になった部分が下垂し、他の臓器を邪魔していたようです。幸い信頼できる医師とやっと出会うことができ、不安は一切なく、希望をもって毎日を過ごしています。痛みはないのですから、盲腸より軽い問題だと思っています。

 あれが大晦日やお正月でなかったら、わざわざ他市の病院に行くことなく信頼できる先生と出会う事もなかったわけで、起きたことは非日常でも「不幸中の幸い」に感謝している今です。   

 

 スマートフォンを持っていませんので、もしかしたらしばらく音信不通状態になるかもしれませんが、「便りのないのは良い知らせ」と思って待っていてください。雛祭りのころ、ここに帰って来て元気なメッセージをお送りしたいと思っています。

 

 思いがけない一年のスタートでしたが、定年退職をしました2011年から思いがけない事の連続でした。その中にたくさんの宝物を見つけ学ばせて頂きました。これからも、そういうスタンスで、出会う事、起きることと一緒に歩んでいきたいと思います。      

 寒さ厳しい毎日ですが、どうぞご自愛くださいませ。

《 大根掘り 》

  皆さま、今年も良い一年のスタートを切られましたでしょうか?

私の1月の活動は、毎年20年以上前の職場の大先輩A氏の畑から大根を抜かせて頂き、それを福島県在住の知り合いにお届けすることからスタートします。

 A氏は今年も、私の脚など比べ物にならないくらい立派な大根を、いっぱい抜かずに残してくださっていました。小雨模様の天候でしたが、勧められるままなんと厚かましく30本も抜かせて頂きました。

 帰ってベランダで1本ずつ乾いたタオルで泥を落とし、新聞紙で包んで箱に梱包します。スーパーで購入した大根には愛着は湧きませんが、この作業の間は大根がとても愛おしく感じていました。福島県いわき市でママの会を組織しておられる方の所と、残りは、毎年佐渡で福島の子供たちの保養キャンプを組織されている方の所へ送らせて頂きました。          

 早速翌日、届いた大根を手に素敵なお母さんたちの笑顔が並んでいる写真を送って頂き、今年の1月のビッグイベントは、無事終わりました。 

 60代の私と、70代の連れ合い、80代の先輩3人のトリオですが、来年もなんとかこの作業が続けられますよう、足腰鍛えておきたいと思います。                           

《2019年 吟遊詩人社1月の予定 》

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は、このブログを読んでいただき、カンパを頂くなど、物心両面で支えて頂きました事、御礼申し上げます。今年一年、皆様に新たな恵がもたらされますことを、お祈り申し上げます。

 お陰様で夫婦二人だけの小さな私の家族、どちらが欠けることもなく、無事年を越せましたことを感謝しています。これからは、だんだん「五臓六腑どこにも問題ない!」とは言えなくなってくるかと思いますが、思ったことを言葉に綴り表現するという好きな事を続けることができましたら何より有難いです。

 子や孫たちのまだ始まったばかりの人生が、戦争や核に纏わる様々な脅威に晒されることなく送れますことを大きな目標にすえながら、今年も好きな曲とコラボさせて拙い詩を書き、その曲にのせて自作の朗読するという独自の活動を続けて参りたいと思います。

 

              《 1月のスケジュール 》 

1月13日(日) マルイ前アクション 14:00~16:00

         三宮マルイ前にて

         前半で、拙詩『あべこべの国』を朗読します。

 

1月17日(木)~22日(火)

         ポエム&アートコレクション(入場無料)

         神戸文学館(神戸市灘区王子町3-1-2*王子動物園 西隣)

         8にち

   *上記展覧会《ポエム&アートコレクション》で、私は昨年同様書家

    山下妙子氏とのコラボレーション『花のドミノ』を出展致します。

     拙詩『花のドミノ』の一節を、今年も山下妙子氏にお願いしまして

    書いて頂きました。ジャンルの違う芸術家とのコラボレーションから、

    毎年新たな刺激を頂いています。(18日、21日は当番で会場に居る予定です。)

 

 

 

 

                                    

           

     

                                           

《 愛語 》

 父は道元禅氏師の『愛語能く廻天の力あることを学すべきなり』という正法眼蔵の言葉を座右の銘にしていたようです。「心のこもった言葉は天を動かす力がある」ということだと、何も分からぬ少女の私に折に触れ言っていましたが、不勉強な私は原典にあたることもしないまま年を経てしまいました。

 しかし、簡潔で機能的な言葉を書くことが苦手な私ではありますが、「廻天の力を持つ」言葉の存在に支えられ、それを媒介にしながら人とつながり生かされてきましたことを折に触れ感じています。

 

 この『吟遊詩人社ブログ』を訪れて下さる方は、本当に限られた方ではないかと推察します。しかもこの一年は特に定期的に発信することができなかった一年であったことを反省しています。

 色々あった一年ではありますが、言葉で語りかけることができます幸に感謝し、来年はもう少しきちんと投稿させて頂きたいと気持ちを新たにしておりますので、これからもどうぞ『吟遊詩人社』の部屋をお訪ねください。