《父の故郷》

 

 幼稚園から小中学生まで、お盆には必ず父と姉と三人で、父の故郷の福井県の北潟湖畔に何日か滞在し、東尋坊という奇岩がそびえる景勝地を訪れ、浜で遊ぶことを楽しみにしていた。

 

 福井の方言で、今も心に残っている言葉は、「だんねえ」だ。「談ねえ」つまり「わざわざ言わなくてもいいよ」、つまり無条件にOKという意味ではないかと思う。当時の私は、そういう詳しい事は何も知らなかったが、「だんねえ」と言う時の祖母の語り口が優しくて、何か頼んだり、失敗して謝った時、この「だんねえ」という言葉が祖母の口から返ってくると、幼い私は、嬉しかったり救われたりしていたのではないかと思う。

 

 この、父の故郷について、私は一篇だけ詩を残している。『三国海岸』というタイトルの作品である。

 時代は大きく遡るが、私たちが夏休みに遊んだ海岸が、1300年以上前に、白村江(はくすきのえ)の戦に敗れた百済人が漂着し、絹を織る暮らしを始めて、日本に進んだ文化を根付かせた場所らしい事と、祖父や叔父の風貌に刻まれた痕跡とが、私の中で一つになって私のルーツを探る作品が生まれた。

 1300年以上も前のことで、調べようもないのだが、拙作品の中で

 

「父や父の親族に繋がる親族の

 風貌に深く刻まれた〈痕跡〉の他

 何一つ証を持たない私であるが

 千年を超える遥かな記憶が

 時おり

 閑かに波立つ         」

 

 と、私から決して去らない想いを綴っている。

祖父母も伯父達も、もう会えない処に逝ってしまっているので

こうして想うことだけが、唯一私ができる供養かと思う。

 

 

  

           《 ご無沙汰しています 》

 

 長い間ご無沙汰致しまして、ご心配をおかけしました。コロナ禍がまだ治まっていない現在、以前のように東奔西走生活は、できていません。寒い夜間に、神戸まで往復の時間をかけて出かけ、ミーティングに参加することは、今はなくなり、ネットを通じた会議をしています。

 それ以外は、いつも何やら書き物をしながら、連れ合いと義弟と私の3人分の食事を作るという暮らしを、細々と続けております。

  流石に今日から三月、昼間は随分暖かくなりましたね。陽射しがとっても優しくおだやかです。皆さまどうぞお大切に。                               (2021.3.1)                                                                                     

  

《 今は在宅でしかできない仕事に集中します! 》

 ご無沙汰しています。年末年始、如何お過ごしでしたでしょうか?コロナウィルスという、今まで出会ったことのない恐ろしいウィルスの存在を、無視して行動できませんので、私は今、在宅中心の日々を余儀なく送っております。

 ウィルス禍という拘束がなかった当時は、毎月一度 三宮のマルイ前で、歌やトークを通じて、平和で命を脅かす原発のない社会を目指す『マルイ前アクション』というイベントの係をしておりました。歌や演奏、アピールなどをされる志ある若い方や、年上の経験豊富な方、たくさんのマルイ前仲間に、私は元気を頂いていました。そこで拙作品を朗読するため、「聴いて分かり易いように」「音楽に、ぴったり乗るように」ということに、繰り返し朗読練習をしながら気をつけていたと思います。

 始めがあって終わりがない物はありませんので、コロナ禍もきっと収束するでしょう。今は、家にじっとしていないと出来ない仕事を、この機に少し集中してみようと思っています。

 皆さまどうぞお気をつけて。無事に再会できます事をお祈りしています。

                                  (2021.1.24)

 

         《 ようやくブログに辿り着きました! 》

 明けましておめでとうございます。遅まきながら新年のご挨拶をさせて頂きます

 

 『吟遊詩人社』のブログが、しばらく不調でありました。

 私本体は、なんとか「稼働」しておりましたが、パソコンに応じてもらえませんでした。なんとかその問題も昨日解決でき、新年のスタートが少し遅くなってしまいましたが、今年も『吟遊詩人社』再出発させて頂きます。何度もここを訪れて下さり、その都度がっかりされておられました方、本当に申し訳ありませんでした。なんとか挽回できますよう、努めたいと思います。

 

 昨年 散歩をしています時、雨上がりの川辺で迂闊にも濡れた桜の樹の根につまずいて転倒してしまい、足腰痛めてしまっていましたが、近くに面倒見の良い整体の先生が居て下さり、まじめに毎週通いますうち、ようやく膝や脚の痛みも完全に取れ、本日「施療終了」のお墨付きを頂き、ホッとしています。

 パソコンも私自身も、「何か問題があるということは、解決の道もあるということ!」と、振

り返ればそういうことですが、渦中にある時は簡単にプラス思考の回路が働きませんでした。

                                    (2021.1.8)

《 私の創作の故郷 短詩系 》

 今日の天気予報は、おおむね晴れのようです。ベランダで、良く陽が当っている明るい場所にタオルなどがぶら下がっている簡易物干しを置き、シャツを干しました。

 後はウォーキング帰りに食材を買い足すと、ようやく創作のための時間が、確保できそうです。まだ十分練っていない作品が、いくつか残っています。 

 仕事をしている時、創作時間は土日以外に確保できませんでしたが、当時は短歌を創っていましたので、なんとかやりくりできていました。

 短歌のリズムは、浮かんだ言葉が心に刻み込まれ易くできているのだと思います。自分の作品で、今も歩きながら季節の花などに出会うと、ふと口を突いて出てくるのは、短歌です。日本人が大切にしてきた五・七・五・七・七の韻律のもつ、不思議な力なのでしょうか。メモ帳もボールペンもパソコンもない時代に栄えた短詩形のもつ力について改めて考えました。

                                   (2020.10.26)

 

《 連れ合いと義弟 3人で囲む鍋 》

 連れ合いには、実(仮名)という弟がいます。彼は、ポリオ性小児マヒを幼児期に患っていますが、現在は完全に自立していて、自転車で移動でき、身の周りの事や買い物も総て自分で処理でき、両親亡き後は、実家で独り暮らしをしていました。読書家でもあり、しばしば読んだ本の話もしてくれます。

 大学卒業後、彼は病院の事務の仕事をしていましたが、スピードや臨機応変さ、コミュニケーション能力を特別要求される職種には馴染めず、残念ながら長続きはしませんでした。

 その頃まだ、こまめで台所仕事も手早くできる義父が健在でしたので、アルバイトをしながら、義父と二人でなんとか暮らしていましたが、義父亡き後の一人暮らしは、やはり無理があったようです。

 ある日連れ合いが実家を訪ねた時、実の利き手である左手に軽い痙攣が起きていましたので、連れ合いは彼の一人暮らしに限界を感じ、わが家の近くにアパートを借りて住まわせ、夕食を週に三回ほど共にし、来ない時のおかずは、保冷パックで冷凍保存しておき持ち帰らせるという生活が、今もずっと続いています。

 手の痙攣は、コンビニ弁当等の栄養の偏りが原因だったようです。しっかりバランスのとれた栄養をとることで、彼の症状はすっかり無くなりました。だからと言って実家に帰すと、今の食生活が自力で継続できないのは目に見えていますので、これからも3人仲良く一緒に過ごしたいと思っています。

 私の長男は、「おっちゃん、おっちゃん」と実に懐いていて、よく映画に連れていってもらったり、ランチをご馳走になったりしていましたので、6月の父の日には、連れ合いだけでなく実にも長男からプレゼントが届いていました。

 

 定年後、ずっと二人だけの暮らしをしているより、彼のお陰で生活にアクセントができたことは、私たちにとっても良い刺激になったと思っています。

 今日も、おでんを食べに来てくれます。「美味しい!」と言う実の声が浮かびます。

                                        (2020.10.24)  

                           

 《 定点観察 》

 頬に当たる風が、随分ひんやりしてきましたが、皆さんお変わりありませんか?私は朝食の準備をしてから、雨降りでなければ、今も早朝散歩に出かけています。

 昨夜の雨で いつもの川辺のベンチが濡れているはずなので、ビニールの敷物を持参していて正解でした。お陰でいつも通り、大きな榎の木陰のベンチに座り、川の流れを眺めることができました。そこで生きる水鳥の様子等を眺めていますと、自然に穏やかな気持ちになります。

 時に種類の違う鳥同士のバトルに遭遇することもあります。自転車で、買い物の行き帰りに川辺を通るだけでは拾えなかった光景に出会えた時は、忘れないようメモ帳に走り書きをしています。そこから思いがけずに詩が生まれることもあり、早朝散歩の定点観察、止められません。

                                   (2020.10.18) 

《 風力計の風太 》

  一緒に生活する「家族」が増えました。家族といっても心臓が動いて生きている家族ではなく、風の力をエネルギーにして働く風力計の風太です。真っ白い鳥のボディーに、真っ赤なくちばし。青い服を粋に着こなしています。海に面したベランダで、風が吹くと全力で両翼をクルクル回します。風太とは、お気に入りの花屋さんで出会いました。ガーデニングのワンポイントとして使われているようです。

 「そんなに頑張って翼を回したら、翼がちぎれて飛んで行ってしまうよ。」といくら言っても、風が吹いている限りは けなげに翼を回し続けています。

 風太が来てくれて、彼が両翼を必死で回している時「今海風が吹いている!!」と風が可視化できるようになりました。日常生活に、ちょっとした愉しみが増えたように感じています。

                                   (2020.9.13)

《 コロナの影響 》

 コロナ禍が、私の生活にどのような影響をもたらしたかと言いますと、神戸の三宮マルイ前で行っていました《マルイ前アクション》が中断していることです。

 

 歌やアピール、私は拙詩作品を音楽に載せて朗読するという、それぞれが一番発信したい出し物を通して、三宮の街の道行く人々の足を止め、チラシを手渡しながらの《さよなら原発》の情宣活動は、コロナ収束まで当分できません。

 街角で拙詩を朗読する機会がありました時は、曲と詩がぴったり一体にならないと聴き辛いですので、自宅で朗読練習を繰り返しながら、言葉のはまり具合を確かめ推敲していました。その機会があるお陰で、耳で納得のいくまで書き直せていたのかと思います。「今後も仕上げ段階で、パソコンのワードの画面だけで終わらせないで、推敲の為の朗読練習をしよう!」と思いますと、気持ちが明るくなったように感じられました。   2020.9.11)

 

             《 蓑虫大量発生事件 》

 

 皆様ご無沙汰していました。きっと集中力が足りないのだと思いますが、昔から一人にならないと集中して物を書くことができません。又一人の時には、期限を守らないとどなたかにご迷惑をおかけしてしまうことから始めますので、どうしても締め切りのないブログが後回しになってしまっていました。何度もここを訪れて下さり、がっかりさせてしまった方のお顔がうかびます。本当にごめんなさい。 

 

 幼年期、蓑虫は格好の遊び相手でした。飛んで逃げられる相手でもなく、噛みつかれる心配もないオオミノガの静かな幼虫に、そんなに悪い印象をもっていなかったのですが・・・・・・;

 先日ベランダのプランターの一角に30年程植わっている観葉植物ブライダルベールがかなり枯れていることに気づきました。「この暑さに、水遣りが足らなかった!」と申し訳ない気持ちで近づいてよく見ますと、小指の関節二つ分くらいの長さの小さな蓑虫が大量にぶら下がっておりました。他のプランターは、以前のまま緑の葉が夏空の下元気に茂っていますので、「ここの植物を枯らした犯人は蓑虫だ!」ということになり、私は心を鬼にして蓑虫駆除を決行することになりました。

 最近あまり見かけなくなりましたが、蚊やゴキブリは、最初から人間と仲良く共生できない相手だと割り切っておれますので、今まで殺虫剤をかけても平気だったと思いますが、幼少期の遊び相手だった蓑虫の命を奪うことは、かなり抵抗がありました。明日になって、私が取りこぼしていた蓑虫と、ばったり出会わないことを祈ります。  

 

            《 集塵袋 》 

 

  今まで創った作品のなかで、一番美しくないタイトルの詩が出来上がりました。わが家のかなり年代物の電気洗濯機には、内部に一対の集塵袋がついています。時折そこに溜まる濡れた鼠色の塵を私は取り出して捨てています。この作業は決して嫌いではなく、むしろ積極的に行っているのですが、この時ふと「私の心にも《集塵袋》がついていてそこにたまった塵をこうして捨てられたら、もっとすっきり爽やかに生きて来れたかもしれない。」と想いました。そういう妄想の類であっても、浮かんだことは必ず作品にしています。

 良く考えれば、すっきり爽やかな清涼飲料水の宣伝のような作品や、そういう人格を目指しているわけではありませんので、「時に少々汚れたタイトルの詩が出来ても、仕方がない。」と、無意識に想っていたかもしれません。                       

           《 コラボレーションのお相手 》

 今日ようやく、新しくできました拙詩作品『夙川の辺で』をブラームスの ヴィオラソナタ第一番 へ短調にのせて、朗読練習を開始することが出来ました。私が拙作を載せたくなる曲は、ほとんどが短調の曲です。今回の詩の中身は、夙川のほとりで見たこと考えた事を中心に構成しているので、決して哀しい中身ではありませんが、色々な曲をかけてみて「これだ!」と、このヘ短調のヴィオラソナタが響いてしまいました。

 身近なヴィオラ奏者がいますので、生のヴィオラ演奏とのコラボも夢ではないかもしれません。いつかそれが実現できますよう、詩はもちろん、曲もすべて耳で覚えてしまいたいと思います。                                          

 《 川辺で出会う 風景 》

 

 早朝 時間に余裕のある時は、湾を見渡す場所で軽くウォーミングアップして散歩をしています。短歌を詠んでいた時からの癖で、小さなメモ帳とペンは、いつも私のウェストポーチに入っています。散歩で出会った事、音、風景など、気づいた事をそこに簡単にメモしています。

 いつも「こんな簡単なメモが本当に詩になるの?」と自分に突っ込んでしまうのですが、メモは種のようなものでそこから芽吹く詩も、たまにはあります。現に今日は新しい作品が、散歩の時撒いた種から生まれました。詩が出来ると、次にその詩を載せる音楽を探すという愉しみがまだ残っています。 詩と狙いをつけて選んだ曲がぴったり合い、その曲名を詩のタイトルの傍に書く時は、とっても嬉しくなり誕生した作品に《ハッピー バースデー》を歌うこともありますが、戦争に核兵器、人種差別に原発等が未だ無くならない地球という稀有な星で起きていることが素材ですから、詩の中身まで全てが、ハッピーな事ばかりではないかもしれません。

 今朝は作品のことで 散歩をしそびれましたので、夕飯の準備もできていることだし、ちょっと今から歩いてきます。                                

《 姉妹 》

 私は三人姉妹の一番下の妹として生まれました。一番上の姉は乳児の時に肺炎を拗らせて亡くなり、両親も既に他界していますので、生まれた時の家族は、姉と私の二人きりになってしまいました。不器用な妹と違って、子どもの時から器用な姉は、人形の服を上手に縫うことができ、対人関係も周囲と上手くバランスをとって笑顔で過ごせていたので、誰からも愛されていたように思います。

 今となっては、お互いただ一人の血族です。年を経るにつれ、ますます相手の存在を大切に想うようになったように感じてます。

 いつからか、それぞれの誕生日に梅田で会ってランチを共にし、相手の希望の品をプレゼントするという時を持つようになりました。今年はコロナウィルスの問題があり、残念ながら会えませんでしたが、今日は電話で姉の声を聴くことができ、いつものように明るく元気そうなので安心しました。姉もそのように言ってくれ、お互いにほっとできました。(2020.5.29)

 《 初夏に 瑠璃色のアクセント 》

 私は幼い頃からツユクサが特別好きでした。子供の頃は、他の雑草にはない鮮やかな瑠璃色の花に強く惹かれていたのでしょうか。

 大人になってからは、はっとするような鮮やかな花をつけているのに、立ち姿がこれ見よがしでなく、そそとしているところも好きになったのかもしれません。昨年の早朝、散歩をしていた時に見つけたツユクサを、数本根から採ってベランダのプランターに植えていたのでしょうか?私はすっかりそのことを忘れていたのですが、花は季節を忘れません。今年鮮やかな瑠璃色の花をつけて私の早朝の眠気を醒ましてくれました。

 ツユクサの周りには、花屋さんで買った花紫色、花色のスミレ科の洋花が咲いているのですが、ツユクサの瑠璃色は、花壇のアクセントになり、他を寄せ付けない力があります。

 子供の頃、『少年探偵団』という子供向け番組があり、始まる前に「勇気凛々、瑠璃の色♪」という主題歌が流れ「瑠璃の色ってどんな色か?」ずっと謎でした。きっと母に「瑠璃の色ってどんな色?」と、聞いて困らせていたことでしょう。三十年ほど前に短歌を詠むようになってから、言葉をたくさん知らなければならないので、「色の名前」「色の手帳」という本を手に入れ、表現に困ったときはそれで確認するようになりましたが、母は娘の質問にどう答えたのでしょう。                                (2020.5.28)

《 お変わりございませんか? 》

  皆さま お変わりございませんか。連日新型コロナウィルスの報道が流れる日々、「変わりなく日常生活を送る」という事が、今までどれだけ有難いことであったか、痛感しています。

 今日は共同購入の野菜が届く日ですが、その時間が近づくと、マスクをつけてスタンバイするというようなことが、ごく当たり前になってしまっていることに、気がつきました。非日常が日常化してしまっているのです。      

 そんな中で、20代から心の内を総てさらけ出しながら交流している友とメールをやり取りしたり、いつもお手紙で支えてくださっている方にお便りを書いたり、家族で鍋を囲んだり・・・、それまで当たり前に受け止めていました日常生活が、どれだけ私を支えてくれていたのか気づかされました。

 昨年の5月に入院し、長く持っていました不具合を手術しましてあっという間に一年が経ちました。この間多くの方々に温かいお言葉やお見舞いを頂きました事、改めまして御礼申し上げます。お陰様で経過は良好で、思い切って手術をして良かったと思います。皆様本当に有難うございました。(2020・5・20)                          

《 ご無沙汰しています》

今、国中が新型ウィルスへの恐怖や不安で溢れています。通勤や通学をしなければならない方たちや、子育て真っ最中の現役世代、お孫さんが身近に居られる方々・・・・・、この思いがけない非日常の中、如何お過ごしですか??私の方は、一人でする仕事を日中しておりますし、近くのコープか郵便局に行く以外に、あまり出歩くことはありませんでした。この機会に益々、引きこもり傾向が増すのではないかと危惧しています。体を動かすことを、増やす必要を感じています。                       💛皆さま、どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。この問題が、一日も早く収束しますことを祈っています。★*・。・

《 明日 春見つけに行ってきます 》

今日、20代の時からの友人から「ブログが震災記念日から更新されてないけれど・・・」とご心配メールを頂戴しました。昨年新しい年になると同時に、私の息子たちがまだ小さな命の萌芽だった頃、彼らが人間の形になって誕生するまで居た私の宮殿が、少しトラブルを起こしてしまいました。幸い良い主治医と出会うことができ、安心して手術を受けることができました。お陰様で術後の経過も良好のようで、身体的問題は、ほぼ片付きつつあると思います。ただその結果、張りつめていた気持ちが、少々緩んでいるのかもしれません。でも、春の匂いを嗅ぐときっと、どんどん元気になるはずです。明日は、夙川の畔の梅が、もう散りかけているか見に行ってきます。桜の枝がほんのり色づいているかも確かめたいです。染色家は、花が咲く前の桜の枝で桜色を染めるそうです。枝から花へ、どのように桜色が巡るのでしょう?まだまだ私には分からないこと知らないことがいっぱいあります。明日の私の「春みつけ」、何か素敵な収穫がありますように。

《今日は25年目の震災記念日》

 今日は1・17 震災記念日です。毎年この日は連れ合いと、震災追悼行事が行われる神戸の「東遊園地」と呼ばれている公園に早朝出かけ、蝋燭の火を点し午前5時46分の合図で黙祷しています。

 昨年は、地元の小学生が『幸せ運べるように』という震災で生まれた歌を、ずっと合唱してくれましたが、今年それはありませんでした。午前5時30分からの追悼行事に、たくさんの小学生を動員するのは、余程条件がそろっていないと難しい事だったのかもしれません。

 震災で、家族や親族が命を落とすことはありませんでしたが、次男の遊び友達マサル君が倒壊した建物の下敷きになり何も分からないまま短い命を突然終わらされたことが、今も昨日起きた事の様に悲しみを呼びます。

 辛い体験だけではありません。あるうどん屋さんが、お店の温かいうどんを小さな容器に入れて、店の前を通る人々に配って下さっていたことも、毎年思い出します。ガスも水道も電気も、ライフラインが全てストップしていた時の炊き出しです。久しぶりに味わう御うどんの温もりは、今も忘れられません。

 あの震災を体験したことは、きっとここに居る総ての人々の血や肉となって、何かの形になっているのだろうと、早朝東遊園地に集まって来られた人波の中で、思いました。

 

                                     

《 新年明けましておめでとうございます。今年一年が、皆様にとりましても良い年でありますよう、お祈り申し上げます。》

 

 早くこのブログコーナーに辿り着きたいと願いながら、年末大掃除とおせちの準備等に追われておりました。3日から長男一家が泊りがけで来るというので、やはり彼らが幼かった頃にしていたことを一通りしなくてはという気持ちになれました。お正月もずっと二人だけの暮らしであれば、いつでも新鮮な食べ物が手に入る時代、おせち料理は作らなくなったかもしれません。連れ合いの好きなごまめやお雑煮、かまぼこくらいで済ませても、連れ合いはそれで充分満足してくれると思います。

 思えば丁度昨年の大晦日に体調の激変が起き、救急指定の病院に駆け込んだ時から思いがけない事が始まりましたが、お陰様で昨日の元旦は、二人で新年と病気快癒の乾杯を交わすことができました。 

 この間、たくさんの方々にご心配頂き、温かいお言葉やお見舞いを頂きました事、心より感謝しております。皆様本当に有難うございました。お陰様で、元気に新しい年を迎える事ができました。これ以上の宝物はないということ、病気になって初めて心からそう思えました。  

                                    

《 吟遊詩人社よりご挨拶と 12月の予定 》

 皆さん、長い不在をお許し下さいませ。退院以降、身の回りのことと、詩を書く事、朗読の練習をすること以外何も気が回りませず、このブログの広場までなかなか辿りつきませんでしたが、お陰様で、なんとか年末の掃除やおせち作りの方向へ、ようやく気持ちが向きかけました。

 来年から、又新しい種を播きたいと思います。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

 

12月22日(日)マルイ前アクション 14:00~16:00 三宮マルイ前にて

《 近況報告 》

  ブログでのご無沙汰お許しください。しばらく創作の方に集中していましただけで、体調はどんどん快方に向かっていますので、どうぞご安心下さい。一時かなり辛く思えました施術部の痛みも、日を追う毎に軽くなっております。「重い物を持たない。」「立ち仕事をしない。」というドクターKのご指導を極力守りながらも、二足歩行の生き物ですから立たないと生活は立ち行きません。ただ、一番好きな仕事が「物を書く」という座り仕事であることは、大変有難く思われました。今は遠出を控え、任されている仕事のみ集中してさせて頂いています。

 ベッドに縛られていた時と比べますことで、以前に増して当たり前の日常生活が送れます有難さを痛感致します。

 又、もっともっと大変な病を抱えておられます人生の先輩が、明るく元気に、自然の営みや身近な人々を愛して生きておられるお姿にも、大きな励ましを頂きました。

 

 家族・親族は勿論、ご縁ある皆様方より、温かいお言葉やお心こもりますお見舞いを頂きましたこと、心より御礼申し上げます。有難うございました。

 「どんなに病を得ましても、気持ちさえ強く保つことができたら、生き物には自然治癒力があるので、必ず快方に向かう!!」という信念のようなものが、今こんこんと湧いています。

 科学的には立証できないことかもしれませんが、実際に私のからだはその方向を向いております事だけは、実感できます。

 これからも、皆様にお教え頂きながら精進して参りたいと思います。当たり前の日常が、どれだけ有難い事であるかも痛感致しました。

 今まで同様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

《ようやく日常を取り戻しました》

 皆様、ご無沙汰しています。5月8日に無事退院しまして、今は自宅で療養中です。療養と云いましても、昼間一人の時は随筆や詩の創作に集中し、夕方は丸椅子に座って夕飯を作っています。未だに痛みがぶり返す等、不安定な状態は残っていますが、病院での一週間と比べて、当たり前の日常生活がなんと素晴らしく想えることでしょう。

 今日、退院後初めてのウォーキングをしました。6月23日の《マルイ前アクション》に向けて、プログラム作りをしたり、足腰を動かしたり、普段していたことを徐々に回復していっております。

 この間、素敵なお花等のお見舞い等を下さった皆様、お心遣い本当に有難うございました。

 弱っている時は、一層花の存在の有難さを感じるように思います。花は黙って傍に居てくれる、とても有難い存在という事も、改めて感じました。

 無理のないペースで、徐々に回復いたします。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

  

 

《吟遊詩人社6月の予定》

6月2日(日)郷地秀夫氏講演会

       14:00~ 神戸市勤労会館にて

 

6月23日(日)マルイ前アクション

       15:00集合・準備

       16:00~18:00

       (6~8月は、夏の一番暑い時間帯から始めるのを避けています。)

 6月のマルイ前アクションの参加者エントリーを募ります。どうぞご準備くださいませ。

                                   (2019.5.24)

《スペース おふくろ》縮小します!

 いつまでも布団を敷いたままにしていますと、気持ちの切り替えができませんので、今日は思い切って〈床上げ〉をしました。

 入院や手術に至る症状が始まったのは大晦日の夜のことです。おせち料理を作り終えて、テレビには未だ除夜の鐘は流れていなかった時間帯、連れ合いが救急車の手配をしてくれていたことをぼんやり想い出します。大晦日にサイレンを鳴らすことはさすがに憚られ、救急車は「サイレンなしの特注」でお願いしました。

 今年の大晦日まで、前年の失敗をくりかえさないよう手抜きに徹し、のんびり過ごさせて頂こうと内心想っております。  

 

 長男が、私の煮しめやお雑煮に入っている鶏肉の甘辛煮が大好きで、「今年もあれ作ってよ。」などと言って喜ばせてくれるものですから、今までついつい張り切ってしまっていましたが、これからは体の状態などと相談しながら、少しずつ「スペースおふくろ」を縮小しなければならないことを感じています。

 母から受け継いだ味なので、「レシピにして残しておこうか。」など、若干未練がましく想ったりしながら。                                                                                     (2019.5.18)                                                                                                                                           

《 最強の野菜スープ 》

 皆様、ご心配をおかけしました。先週無事退院致しました。痛みも取れ、今日から普通の生活をしています。

 昨夜は連れ合いが『健康道場』で習ってきた〈最強の野菜スープ〉を作ってくれました。キャベツ・カボチャ・トマト・ジャガイモ・人参・ピーマン・セロリ・ごぼうを全てひと口大に切り、水を入れて煮るだけの簡単な料理ですが、台所から良い匂いが漂い、久しぶりに食欲がそそられました。

 お野菜は、生で食べた方が新鮮というイメージを今までもっていましたが、野菜スープは抗酸化力がサラダの100倍あり、癌の予防にもなるとのこと。

 お陰様で元気になりましたので、これからはこの野菜スープを、私も日常的にせっせと作ろうと思います。                            (2019. 5.15)

《 家族の文化遺産 》

  お陰様で私の手術は無事終わり、一昨日ようやく慣れた自分の布団で眠ることができました。手術された場所は、二人の息子たちの《人生最初の揺りかご》であった子宮です。無事修復して頂きました。まだ痛みは残りますが、それも日々薄れていくことでしょう。

 

 ドクターKに出会うまでは、私に災いをもたらす子宮という臓器に、あまり優しい感情がもてないでいました。しかし《悪いものは切る》という手術ではなく、そこにネットを詰めて下垂しないように整える手術であることを伺い、だんだん私の想いは変化していったと思います。

 そして入院中の個室に、二人の息子とその連れ合い、3人の孫娘たち総勢7人が見舞いに来て、一同が窓からの光を受けて同時に微笑んでいた時、「手術を受けようとしているこの子宮が二人の息子を護り育んでくれたお陰で、今この7人が存在しているのだ!!」と、当たり前のことながら、改めて有難く感じました。

 若い世代の人達は、私たちにはない強いエネルギーを発している様に思います。自分のエネルギーが弱っている時だからよけい、他から受けているエネルギーに対して敏感に反応したのかもしれません。

 

 息子たちの命を育んだ小さな宮殿は、私のファミリーヒストリーにとっては大切な文化遺産です。その文化遺産を、最新技術を駆使して修復工事を施し保存して頂いた有難さが、後から満潮のように寄せて来ました。                    (2019・5・10 )

《 手術のBGM 》

  驚いた事に、5月2日の手術の概要に「もしご希望でしたら、手術中お好きな曲を手術室で流し続けることが出来ます。」と書かれていました。

 《 医療と音楽のコラボレーション 》が、今研究され始めているのでしょうか?初めて聞いた試みです。

 早速、今まで拙詩とのコラボに使ったグレングールドというピアニストのバッハの《ゴルドベルグ変奏曲》やビバルディの《二つのバイオリンの為の協奏曲イ短調》のダビング盤をバックに入れました。

 これですっかり入院や手術というものが日常生活の延長どころか、愉しみな遠足に出かける気分になり、実施前から《医療と音楽のコラボレーション》の効果を感じさせて頂きました。

《 吟遊詩人社 5月の予定 》

 吟遊詩人社5月の予定は、申し訳ないですが今の段階では私にも正確に分かりません。分かっていますことは、5月早々に入院手術ということと、悪性の病気ではないとのこと。信頼できる、今までその手術で失敗された事がないと云っておられる主治医にお任せするという事です。

 

 入院後10日くらいで無事退院でき、その後も経過が良ければ、5月26日(日)に2時から予定しています〈マルイ前アクション〉に参加させて頂きたいと思っています。 

 もし当日参加は無理だったとしても、出演者の根回しと、プログラム作りは可能です。

 

 手術には何の心配もないのですが、左手クスリ指にはめた結婚指輪を「エコー検査をするので入院までにはずしておいてください。」と言われ、色々試してみましたが取れませんでした。 加齢と共に指が太くなり、指輪がかなりくい込んでしまっています。「最悪の場合は、消防署で器械を使って指輪を切ってもらうしかないらしい。」と、ネットで検索した連れ合いに云われ、少々蒼ざめていました。

 ところが今、直接病院に問い合わせますと、なんと「ゴム手袋をしてもらってレントゲン撮るから大丈夫ですよ。」とのこと。「ゴム手袋をはめる」という素朴な解決方法にホッとすると同時に、ネット情報と現場の常識とはかなりかけ離れていることを、改めて思い知らされました。  

       

《すみれの花の便り》

 毎年この季節になると、可憐なスミレの花が封筒に小さなジッパーつきのナイロン袋に入って届きます。特別支援学級の担任をさせて頂いた当時に出会ったお子さんのお母さんのAさんからです。仕事を離れました今は、私を励まし元気づけてくださる人生の大先輩です。

 届いたスミレは、カクテルグラスに挿し、ダイニングのカウンターに飾らせて頂きました。スミレは、姿の可憐さと色合いの艶やかさがなんとも魅力的で、目をやる度に慰められています。

 そのお母さんは、お連れ合いと新聞販売店をされていて、ご自身も早朝と夕方の配達をこなしておられます。その前向きなお姿と、お仕事をされながらも足元の草花への細やかな気配をされるお姿に、いつも教えられ、温かいエネルギーを頂戴しています。

 

 子供の時母が歌ってくれていた童謡を、今日ふと想い出しました。

 

♬ 紫の 着物きているお花さん あなたのお名前なあに

 はいはい わたしは スミレよ 野のスミレ~♪ ♬

 

 これを母と歌っていた頃が、わたしの人生の始まりの時、〈創成期〉です。今思えば悩みのない最も幸せな時だったかもしれないと、スミレの花のお陰で思い起こすことができました。

 母は花が好きで、春はスミレやタンポポ等の野の草花や土筆を喜び、夏には向日葵、ダリア、オシロイバナ。秋にはコスモスやケイトウ等を庭一杯に咲かせていました。

 又季節毎に、一緒に童謡を歌ってくれていた母だったことを思い出し、桜の花が散る頃に逝った母への想いが突然込み上げました。   

                             

 

 

 

《マルイ前のお客様》

 仕事をしていました時の38年間で、特別忘れられない2人のお子さんと、そのお母さん方がおられます。

 先日のマルイ前アクション当日、私が40代の時に受け持っていましたお子さんだったトウヤさん(仮名)とそのお母さんのBさんが、マルイ前にひょっこり来て下さり、ずっと観覧席で応援してくださいました。そしてBさんは、最後に「これコツコツ貯めたお金です。どうぞ役立ててください。」と、ずっしり重いカンパをくださいました。お釣りを貰われる度に、お釣り貯金をされていたとのことで、Bさんのお気持ちがその重さになって伝わり今も残っています。

 

 小さくて可愛かったトウヤさんも、すっかり大人の顔になっておられ、長時間お母さんの傍に落ち着いて静かに座って下さっていました。お母さんのBさんは、お声も姿も当時の印象と変わっておられず、優しい笑顔も当時のまま。私も《あの頃》に戻らせて頂いたような嬉しい錯覚を覚えました。 

 今私は、尼崎で勤めていた時とは全く畑違いの詩の朗読と《さよなら原発》の活動をしておりすが、「若くて未熟でありました私に、今も変わらず温かく応援して下さっていますお母さん方が居て下さることは、なんとも有難く勿体ない事!」と、しみじみ噛みしめさせて頂きました。

 

 当時、受け持ちの子ども達のお母さん方とは、連絡帳を通じて家庭と学校での日々のお子さんの様子を伝えあう事を日課にしていました。そこは、持ち物などを文字通り「連絡」するだけの場ではなく、感じたこと思った事をその日のうちに伝えあう〈交換日記〉のようなものだったかもしれません。

 私の場合、休憩時間の合間に書く連絡帳でしたが、拙ブログで書かせて頂きましたお母さん方が、毎日書いて下さる連絡帳の中味が 深く豊かであっただけに、私はそこから光や熱をたっぷり頂戴し、その《再生可能エネルギー》で、当時は仕事をさせて頂いていたのだと、今改めて振り返って感謝しています。 

 

《 生きるための仕事 》

  ある友人から、「何度も貴女のブログを開いてみるのだけれど、ずっと更新されてないので、体調がだいぶ悪いのですか?」と心配のメールが届きました。決して寝込んでいる訳ではないのですが、エネルギーに溢れていると云えば嘘になるかもしれません。日々の食事の用意や、その為の買い物、次の日曜日に予定されているマルイ前アクションで初披露します拙詩『人間の箍(たが)』の朗読練習などの、必要最低限の「生きるための仕事」が出来ています事に、今は感謝しなければならないと思っています。

  この『人間の箍』は、今年の3月に福島から神戸にお招きして講演をして頂きました武藤類子さんのお話がずっと心に残っていまして、それを核にしてできた詩です。

 ラフマニノフのチェロソナタ ト短調 作品19 第三楽章が、この拙詩『人間の箍』をのせる器になっています。本番まで明日明後日の2日しかありませんが、ようやく練習に乗ってきたところです。

 

《吟遊詩人社 4月の予定》

 夙川の桜が、昨日の陽気で一斉に開花しました。夙川の川岸には、ぼちぼち花見客も増え始めています。冬の間は、桜の幹に目をやることもなく通り過ぎていましたが、今桜の幹にも枝にも艶が出て、輝いているように感じます。

 これはきっと、気のせいではないはずです。20年も前のことですが、たしか染色家の志村ふくみさんが、樹液も桜色をしていて、桜の枝を使って美しい色に布を染めておられると仰っていたように思います。桜色の樹液が、桜木を巡っていることを想像すると、なんだか嬉しくなります。 

 4月は、今のところマルイ前アクションでの詩の出演に絞って、新作の朗読練習に励みたいと思っています。

  4月21日(日)マルイ前アクション 14:00~16:00  

 誕生したばかりの拙作『人間の箍(たが)』を朗読する予定です。

  

《 原発事故で生じた汚染土を道路や園芸用の土として全国で再利用!? 》

  最近「とうとうこの国は、そこまで愚かな政策を考えなければならない処まで追いつめられているのか?!」と、驚きと同時に情けなく感じたニュースがありました。

 原発事故で汚染された土を、政府は道路や園芸用の土として全国で再利用する計画を立てているというのです。一瞬耳を疑うようなニュースでした。

 「痛み分け」という言葉をよく耳にしますが、放射能を帯びた土を持ち出したり、全国に拡散することは、法律で固く禁じられていることではないかと思います。簡単に汚染土の痛み分け等が、できるはずがないと思うのです。しかし政府自らが法を犯さなければどうにもならないほど、この8年の歳月で福島原発事故で生じた汚染土は、溜り続けているのでしょう。

 政府が捨てようとしているのは、単に法律という決まり事だけでななく、人間が人間で在り続ける為の骨組み、「人間の箍(たが)」ではないのかと感じました。

 政府の取るべき道は一つです。第二の原発事故を出し、これ以上原発事故の被害者や放射能汚染地域を拡大する前に、核廃棄物というリスクを背負う原発を、「ベースロード電源」に据え続けてきた誤りを認め、多くのヨーロッパ諸国のように、風力や太陽光エネルギーなどの自然エネルギーに転換するのです。

 失敗をしてそれを胡麻化すのは幼児期の子どもならまだしも、大人それも一国の政府のすることではないはずです。

  

《 3・11 神戸からの祈り 》

  今年も3月11日が巡ってきました。私たちは、毎年この日の夕方、三宮のマルイ前広場に集い、『3・11神戸からの祈り』という会を催しています。黄昏時にキャンドル点灯が始まります。それぞれが持ち寄り、大きく「3・11」の形に並べたキャンドルに、一斉に灯が点ります。

 

 私は今年も拙詩『祈り』を、コラボ相手のバッハの無伴奏チェロ組曲第五番 ハ短調に合わせて朗読させて頂きました。詩の中で毎年変化する部分があります。死者・行方不明者・避難者の数を述べるところです。

 今年は、「死者15897人、行方不明者2533人、避難者52731人。」という数を調べて覚え、声にしました。避難者の数は、4年前の267419人から激減しています。そして行方不明者の数が減り、その分死者の数が増えています。これらの数には、お一人お一人の人生があり家族があると思うと、数字にも命が宿っている様に思え、疎かにできません。まるで受験生のように、空で言えるまで必死で数を覚えました。

 

 このブログを綴っている今、ドンという音と揺れを感じました。テレビをつけるとやはり地震があったようです。

 この地震大国で、しかも大きな地震や津波に襲われるとどうなるのか、改めて痛感させられている日本で、未だに「原発を主要なベースロード電源とする」と云い続ける政府が居座っていることに、怒りや口惜しさを覚えます。

 

 樋口英明元福井地裁裁判長の、関西電力の原発再稼働に関する判決文に、

「豊かな国土と そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、それが出来なくなることが、国府の喪失であると当裁判所は考えている。」という有名な一文があります。

 

 今の政府が大切にしようとしている「国富」は、少々国民を原発事故で犠牲にしてでも得たい、ごく一部の人たちの財産であり、それを「国富」と呼ぶのにはかなり無理があると言わざるを得ません。

 

 来年の3月11日は、今より少しでも私たちを取り巻く環境が良くなっている事を、強く祈ります。

 

 

《吟遊詩人社3月の予定》

3月3日(日) 武藤類子さん講演会《福島原発事故から8年》

        神戸市勤労会館 403&404号室 13:30~16:00

 

3月11日(月) 《 3.11神戸からの祈り 》

         夕方、三宮マルイ前に集合しキャンドルを点し

         3.11の犠牲者への追悼の集いを行います。

         詳しくは、追ってお知らせしますので、ご予定ください。

 

        

《 詩誌『兆』との 有難いご縁 》

  ずっと一人で《詩と音楽のコラボレーション》の試行錯誤をして参りました私にとり、思いがけなく光栄で有難いことが、最近ありました。今年から『兆』という詩誌に参加させて頂くことになったのす。

 今までは短歌結社『未来』に所属していました時の近藤芳美門下の大先輩、間鍋三輪子さんが主催されます『縄葛』(つなね)という詩歌誌に拙詩の投稿をさせて頂いていました。         

 私以外の投稿者は皆、間鍋三輪子さんの短歌のお弟子さんです。不思議と詩誌との繋がりはずっとありませんでした。 

 「詩と音楽のコラボレーション」という独自の試みを、20年ばかりしておりますので、「どうしても詩誌に所属したい」という気持ちが、心の底から湧いてこなかったのかもしれません。

 

 『兆』は、私が朝日歌壇に初めて投稿します時に、自分で作ったペンネームの由来であります石川逸子さんが所属されています詩誌です。

 私が逸子を名乗ることなど、本当はとても畏れ多いことなのですが、朝日歌壇に採用されることはごく稀であり、もともと「無名者の歌」というコンセプトを大切にする朝日歌壇投稿の場であったが為に、できたことではなかったかと思います。

 35年ほど前に望月逸子のペンネームで朝日歌壇に投稿していました時、私の拙い短歌作品を採用して下さる選者が、ほとんど短歌結社『未来』主宰の近藤芳美氏で、そこから私の詩歌の道の入り口が開かれました。

 

 しかし、2011年3・11から、私を囲む世界も、そこで生きる私自身も変わりました。それまで当たり前に思って立っていました足元が、どれだけ危うい地盤の上であったのか、遅まきながら思い知らされた訳ですから、変わらないわけにはいかなかったのです。

 「原発に反対しておられる詩人の先輩たちと会いたい!!」と、心からその時思いました。

 

 人見知りが強く、お世辞にも行動的とは言い難い私でしたが、広島の原爆資料館で原発に反対する会があるという情報を得ますと、すぐさま新幹線に飛び乗り、広島まで一人で出かけて行きました。      

 

 そこでアーサー・ビナード氏や、御庄博美氏という広島の地で原発と真っ向から戦っておられる詩人たちと出会わせて頂きました。

 石川逸子さんは、その御庄博美さんとの共著で2004年には『ぼくは小さな灰になって』2012年には『哀悼と怒り 桜の国の悲しみ』という詩集を上梓されています。

 御庄さんと出会った直後に初めて石川逸子さんにお便りさせて頂きました。きっと逸子というお名前を、勝手に使わせて頂いているお詫びも、その時したのではないかと思います。

 石川さんは、不躾な突然の私からの便りをとても温かく迎えて下さり、それから私にとりましては一生の財産とも云えます石川逸子さんとの有難いご縁が生まれました。

 石川逸子さんは、上記の御詩集以外にも『たった一度の物語~アジア・太平洋戦争幻視片』という詩集や、『風のたより』という個人誌、所属されています詩誌『兆』をその後ずっとお送り下っさっています。

 

 『兆』の先輩方は、皆さん第一線で詩の講座の講師をされるなどご活躍されています素晴らしい先達です。

 私にとり、大変遅い出発ではありますが、これからは素晴らしい先輩方から学ばせて頂きながら、全力で詩の創作を続けて参りたいと思います。

 

 勿論、私が〈吟遊詩人〉であることは一度も忘れることはありません。創作中に音楽を流し、その曲にのせて朗読しながら推敲しており、今も私の詩には、もれなくコラボの相手の楽曲が底に流れています。

 

 詩誌『兆』の一年生、望月逸子。遅いスタートではありますが、気持ちは新入生です。どうぞよろしくお願い申し上げます。 

 

《ファミリーヒストリーの中の太平洋戦争》

 前回私の身体的な事情をお話ししてしまいましたが、私の主治医はとっても人気の先生のようで、なんと5月まで手術のスケジュールが詰まっているらしいのです。それで、私の体の中で下垂し、他の臓器の邪魔をしている問題部分への手術は、5月に延期されてしまいました。早くすっきりしたかったので手術の延期は拍子抜けしましたが、お陰で良かった事もあります。

 

 今、毎日早朝から詩を書くことに集中しています。冬眠を迎えるリスが巣穴に木の実をため込むように、拙作品を次々に貯蔵しています。締め切りギリギリに仕上げた作品より、貯蔵することで詩が発酵し、もっと良い味になってくれることを期待したりしながら。こういう時期が途中で中断させられるより、少しでも長く続いた方が、本当は有難いのです。

 

 作品に共通するテーマは『ファミリーヒストリーの中の太平洋戦争』です。きっかけは、終戦の年に生まれ、肺炎をこじらせてたった5か月しか生きられなかった姉の倭文子(しずこ)のことを詩にした『米の磨ぎ汁』です。

 それは子供のわたしが、当時母から聴いたことを手繰り寄せながら書いた作品でした。

 続いて『伯父の背中』では、高校生くらいのわたしの眼からみた、かつて日本軍兵士として中国大陸に行った伯父のことを書きました。

 

 そして今、ようやく父に辿りついたところです。父が逝ってしまった時、私は乳呑み児を抱えていました。

 「今ならゆっくり父に熱燗のお酒を勧めたりしながら、大人同士の話ができるのに。」と、残念ではありますが、詩というタイムマシンで、父とかなり突っ込んだ話ができ、フ~と一息ついたところです。

 

 娘や姪にあたる私が詩を創作する現場に、亡くなった縁者たちが界を跨いで応援に来てくれていると思い、彼らに敬意をもって創作中です。

 

《  吟遊詩人社2月の予定 》

 実は、今この場所に《2月の予定》が書けません。大晦日の夜、私の身体的な問題が突然表面化し、芦屋の市民病院に駆け込むという自分でも驚くような事態が起きました。幸いすぐに小康状態を得まして、食欲もあり今は普通に日常生活を送っております。              

 明日診察を受け今後の見通しが分かると思います。                       

 息子たちがお腹に居たころの揺籃、現在完全に不要になった部分が下垂し、他の臓器を邪魔していたようです。幸い信頼できる医師とやっと出会うことができ、不安は一切なく、希望をもって毎日を過ごしています。痛みはないのですから、盲腸より軽い問題だと思っています。

 あれが大晦日やお正月でなかったら、わざわざ他市の病院に行くことなく信頼できる先生と出会う事もなかったわけで、起きたことは非日常でも「不幸中の幸い」に感謝している今です。   

 

 スマートフォンを持っていませんので、もしかしたらしばらく音信不通状態になるかもしれませんが、「便りのないのは良い知らせ」と思って待っていてください。雛祭りのころ、ここに帰って来て元気なメッセージをお送りしたいと思っています。

 

 思いがけない一年のスタートでしたが、定年退職をしました2011年から思いがけない事の連続でした。その中にたくさんの宝物を見つけ学ばせて頂きました。これからも、そういうスタンスで、出会う事、起きることと一緒に歩んでいきたいと思います。      

 寒さ厳しい毎日ですが、どうぞご自愛くださいませ。

《 大根掘り 》

  皆さま、今年も良い一年のスタートを切られましたでしょうか?

私の1月の活動は、毎年20年以上前の職場の大先輩A氏の畑から大根を抜かせて頂き、それを福島県在住の知り合いにお届けすることからスタートします。

 A氏は今年も、私の脚など比べ物にならないくらい立派な大根を、いっぱい抜かずに残してくださっていました。小雨模様の天候でしたが、勧められるままなんと厚かましく30本も抜かせて頂きました。

 帰ってベランダで1本ずつ乾いたタオルで泥を落とし、新聞紙で包んで箱に梱包します。スーパーで購入した大根には愛着は湧きませんが、この作業の間は大根がとても愛おしく感じていました。福島県いわき市でママの会を組織しておられる方の所と、残りは、毎年佐渡で福島の子供たちの保養キャンプを組織されている方の所へ送らせて頂きました。          

 早速翌日、届いた大根を手に素敵なお母さんたちの笑顔が並んでいる写真を送って頂き、今年の1月のビッグイベントは、無事終わりました。 

 60代の私と、70代の連れ合い、80代の先輩3人のトリオですが、来年もなんとかこの作業が続けられますよう、足腰鍛えておきたいと思います。                           

《2019年 吟遊詩人社1月の予定 》

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は、このブログを読んでいただき、カンパを頂くなど、物心両面で支えて頂きました事、御礼申し上げます。今年一年、皆様に新たな恵がもたらされますことを、お祈り申し上げます。

 お陰様で夫婦二人だけの小さな私の家族、どちらが欠けることもなく、無事年を越せましたことを感謝しています。これからは、だんだん「五臓六腑どこにも問題ない!」とは言えなくなってくるかと思いますが、思ったことを言葉に綴り表現するという好きな事を続けることができましたら何より有難いです。

 子や孫たちのまだ始まったばかりの人生が、戦争や核に纏わる様々な脅威に晒されることなく送れますことを大きな目標にすえながら、今年も好きな曲とコラボさせて拙い詩を書き、その曲にのせて自作の朗読するという独自の活動を続けて参りたいと思います。

 

              《 1月のスケジュール 》 

1月13日(日) マルイ前アクション 14:00~16:00

         三宮マルイ前にて

         前半で、拙詩『あべこべの国』を朗読します。

 

1月17日(木)~22日(火)

         ポエム&アートコレクション(入場無料)

         神戸文学館(神戸市灘区王子町3-1-2*王子動物園 西隣)

         8にち

   *上記展覧会《ポエム&アートコレクション》で、私は昨年同様書家

    山下妙子氏とのコラボレーション『花のドミノ』を出展致します。

     拙詩『花のドミノ』の一節を、今年も山下妙子氏にお願いしまして

    書いて頂きました。ジャンルの違う芸術家とのコラボレーションから、

    毎年新たな刺激を頂いています。(18日、21日は当番で会場に居る予定です。)

 

 

 

 

                                    

           

     

                                           

《 愛語 》

 父は道元禅氏師の『愛語能く廻天の力あることを学すべきなり』という正法眼蔵の言葉を座右の銘にしていたようです。「心のこもった言葉は天を動かす力がある」ということだと、何も分からぬ少女の私に折に触れ言っていましたが、不勉強な私は原典にあたることもしないまま年を経てしまいました。

 しかし、簡潔で機能的な言葉を書くことが苦手な私ではありますが、「廻天の力を持つ」言葉の存在に支えられ、それを媒介にしながら人とつながり生かされてきましたことを折に触れ感じています。

 

 この『吟遊詩人社ブログ』を訪れて下さる方は、本当に限られた方ではないかと推察します。しかもこの一年は特に定期的に発信することができなかった一年であったことを反省しています。

 色々あった一年ではありますが、言葉で語りかけることができます幸に感謝し、来年はもう少しきちんと投稿させて頂きたいと気持ちを新たにしておりますので、これからもどうぞ『吟遊詩人社』の部屋をお訪ねください。