詩と音楽のコラボを楽しもう!

 昨年の東日本大震災で、尊い命を落とされた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、ご家族や愛する人、隣人友人を喪った方々、仕事を喪った方・・・。福島の原発事故で帰る場所も元の仕事、生きていくための物心両面の糧を喪った方。被災地には居なかったけれど、復興の見通しも希望も見えない閉塞したこの国の状況で、生きていくことが辛い方たちへ、今語りかけます。

 今まで体験したことのないたくさんの過酷な現実と向き合わざるを得なかった一年でした。

 

 音楽と詩のことばをつかい、人を、自然を、地球を、宇宙を愛する心の通い路を創りたいと思います。小さく微力な私ですが、このホームページを開き、様々な志や関心、ハートをもつ多くの仲間に出逢えたら幸いです。

 音楽と詩は原初、恋人を呼ぶ声・鎮魂の祈り・大自然への祈願などのなかから、人間が人間らしく生きていく過程で生まれました。本来一体のものであったはずの詩と音楽。

  

 私の詩と音楽のコラボレーションの今のかたちを生んだのはかれこれ15年前です。阪神淡路大震災の激震地にいて、それまで見えなかったこと、ごまかしていたことすべてが明るみに出たとき、「わたしらしく息ができる空間」を創ろうとして密かに自分で編み出した方法です。

 常にそばにミュージシャンがいるという恵まれた環境ではありませんので、音楽はお気に入りのクラシック音楽のCDにお世話になりました。心のなかに漂う雲のようなぼんやりしたテーマ、自然を見つめて発見したスケッチ、それらが好きな曲のとても惹かれる楽章とであうと動き出します。音楽のダイナミズムを帯びるのです。だいたいの詩のアウトラインが出来上がると、次はその楽章にのせて繰り返し朗読しながら推敲します。あるときはモーツァルトが「そこかたすぎるでしょ。」またあるときはマーラーが「映画のワンシーンのように、色彩と風景を音楽にのせて浮かびあがらせて。」と導いてくれました。サティーは「あんたのリアリズム話なんて誰も聴きたくないよ。例え荒唐無稽な内容でも真実があれば感動するさ。」とアドヴァイスしてくれました。とっくにあっちへ逝っておられるはずの大音楽家の皆様にたくさん助けていただきました。

 音楽と詩がぴたっと合う瞬間の快い刺激が、一人になることができる時間を盗むようにしてこの作業を続けさせたのだと思います。

 結構特殊なジャンルであるため、この15年間同じような作品を創作する仲間が集うということにはなりませんでしたが、ホームページ開設を機に、「わたしらしく息ができる空間」が「誰もが息のしやすい空間」に拡がっていったら嬉しいです。