プロフィール

 詩と音楽のコラボレーションをめざす吟遊詩人社代表、望月逸子です。

 

 詩の朗読との出会いは高校時代に始まります。大阪府立豊中高校で、THKという放送クラブに所属していました。このとき音楽にのせて詩を朗読する楽しみを覚えました。NHK放送コンクール朗読部門で大阪府代表に選ばれたことがあります。

 教職の傍ら文芸同人誌「やまとうた」「縄葛」の大会や地域文化振興事業等で、自作の詩を音楽にのせて朗読するパフォーマンスを単発的にさせていただいておりましたが、今回草鞋を一足脱がせていただき、より広い場面で詩と音楽のコラボレーションを展開していくことを目指すことになりました。

 

 以下は2003年に残した「音楽と詩の時空」という文章です。詩と音楽のコラボレーションの世界について述べています。

 

♪音楽に引き出された詩は、私のなかで初めから声に出すものと決まっていた。一人の密かな楽しみとして、サティーの『ジムノペディー』にのせる呟きや、モーツァルトのピアノ協奏曲『ジュノム』にぴったり合う語りを紡ぎ始めた。繰り返し一つの楽章を聴き続け、そこに詩のことばを置く作業をしていると、無駄のない旋律が、私の詩の贅肉を潔く削ぎ落とす瞬間に出会う。詩の静寂に溢れくる音がある。時間と空間を超えて大作曲家と共に仕事をしているという錯覚も嬉しい。決してBGMとして音楽を使うのでなく、音楽と出会い、曲を愛することで詩を生むのである。

 原初はひとつのものであった音楽と詩は、今はそれぞれのメディアに発展して独自の世界を築いている。音楽と詩が再びひとつになることで、お互いを照らしあいながら音楽と詩の新たな時空が構築できれば幸いである。

 

  ことばを超えた音楽の力を痛感させられた出来事があります。阪神淡路大震災直後のことです。東日本大震災と福島原発事故から1年を経てこのホームページを開設するに当たり、どうしても触れなくてはならない私の詩と音楽のコラボレーションの原点です。以下は、2006年の文章です。

 

  阪神淡路大震災で被災した時のことである。知人の安否を確かめるため、避難所になっていた西宮市立香櫨園小学校の教室を順に捜して歩いていた。理科室の戸を開くと、急に線香の匂いが鼻をついた。暗幕がひかれた部屋の入口で目をこらすと、実験台の上に毛布に包まれた遺体が並べられていた。家屋の下敷きになった死者たちのための棺が間に合わず、小学校の理科室が緊急遺体安置所になっていることを瞬時に悟り、合掌してそっと戸を閉めた。

 ある日突然死が何の標も持たずに我々の日常の傍らに横たわっていた。日常生活の土台が揺るがされたことで、魂が居場所をなくして凍えてしまったのだろう。当時の私は、人のことばや書かれた文章に、何ひとつ心動かすことができなくなっていた。震災後初めて感動することができたのは、3箇月後ガスと水道が復旧した頃だった。ザルツブルグから来た楽団が、震災で亡くなった人たちに捧げた《G線上のアリア》を聴いた瞬間である。最初の一音を聴いたとたん、涙が溢れて止まらなかった。震災後初めての涙であった。棺をもたなかった死者たちの魂とともに、縮かんでいた私の心も洗われ、バッハの旋律に抱かれて素顔を取り戻していった。この時強く音楽のもつ大きな力を実感した。

 

  2011年春に、吟遊詩人社を立ち上げました。吟遊詩人社といっても社員は私一人。営利を目的とした会社ではありません。素晴らしい出会いと、詩と音楽のコラボを楽しんでいただくことが最高の報酬と受けとめていますボランティア組織です。

 詩と音楽のコラボレーションを共に楽しみたい方がおられましたら、何処にでも出かけて行きます。また、お気軽に当ブログにご意見ご感想、今のお気持ちなどをお寄せください。 

     

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