朗読CD「旅立ち」の紹介

朗読CD『旅立ち』

Ⅰ 視えない五線譜
~モーツァルト二重奏曲ト長調K423第2楽章にのせて
01 視えない五線譜.mp4
MP4動画/オーディオファイル 4.6 MB

 

     Ⅱ 二つの楽章の間を

     ~マーラー交響曲第5番 嬰ハ短調 第4楽章にのせて

 

     Ⅲ 肉球~黒いラブラドールへの挽歌

     ~エリック・サティ「天国の英雄的な門への前奏曲」「子守唄」にのせて

 

     Ⅳ 西方へ

     ~ラヴェル 弦楽四重奏曲 ヘ長調第3楽章にのせて

 

の四つの詩と音楽で構成されています。

すべてが〈旅立つ〉人や生き物を見送る詩です。

 

 

 「旅立ち」に寄せて

                                  間鍋三和子 

 

 望月逸子さんは、ある日ひとつの曲と出遭う。きっかけはさまざまであろう。魂にひびいた曲に聴き入る。毎日毎日、ある時は月余にわたって耳を傾ける。やがて曲は血流となって彼女の身の内を流れ始め、心臓の鼓動とひとつになる。

 イメージが生まれる。イメージを言葉で紡ぎ出して一篇の詩を書き上げる。その詩を曲にのせて朗読して彼女の詩は完成する。

 詩情に満ちた言葉が、柔らかな声で、美しい曲にのせて語られる。三位一体の効果で、その魅力は言い難い。創作の詩と音楽のコラボレーションは、独創的な新しい試みである。

 詩のモチーフとなるさまざまな別れがあった。次男の方の自立。心を尽くして看取った母上、お舅さんとの永訣。自宅に引き取って家族のぬくもりを頒ち合った少女の自死。

 昨春、三十八年間勤めた特別支援学級の教師を定年退職された。

 「旅立ち」のCDは、過ぎ去ったものへの鎮魂の挽歌であり、自らの旅立ちと再誕への祝歌でもある。

 

( 所属しています「縄葛短歌会」主宰、間鍋三和子先生より心強い励ましのお言葉を頂きました。先生は、詩と音楽のコラボレーションの試みを始め、歌を詠むことをやめてしまった危なっかしい足どりの私を、懐深く受け入れてくださいました。もし「縄葛」という表現の場がなければ、デラシネの詩は確実に末枯れていたことでしょう。不器用な生き方しかできない私へ、つねに温かい眼差しと、その時々に一番必要な一言をくださいました。この15年、いえ初めてお出会いして25年の歳月を振り返り、あらためて間鍋先生の存在の大きさを感じ、感謝と敬愛の念を募らせるこの頃です。)

 

 作者より                                  

                                  望月逸子

 

   去年から今年にかけて、いろいろな旅立ちを見送った。最初の作品はアゲハチョウの羽化の詩である。訳あってわたしの家で3週間暮らした少女が、自活の道を探して出発するときにこの「視えない五線譜」を贈った。この詩をのせた二重奏曲ト長調K423を作曲した頃、モーツァルトはザルツブルグの大司教と決別し、表現者として自由に羽ばたきはじめていた。

   二つめの詩は、大学生だった次男が、下宿から帰ってきてふともらした言葉から生まれた。「保育所で迎えを待つ最後の一人になって、自分の居るところ以外電気が消されていったときのカーペットの匂い、いまだに忘れられないな。」幼年期の彼は、母親であるわたしの迎えが遅くなっても一度も私を責めたことはなかったが、少年から青年に旅立つときに静かにこう語った。

 三つめの詩は、「黒いラブラドールへの挽歌」という副題がついている。詩のなかで、はるかに遠い存在である犬に変身することができた。近くの夙川を散歩している犬に成り代わって語った詩だ。サティはもともと自作の譜面の余白に、皮肉と諧謔に満ちたことばを書きこんでいた。この詩は全くの虚構なのだが、虚構の隙間から少しでも真実が見え隠れしたら嬉しい。

 最後の詩は、夫の父親の旅立ちを見送った後にできた。詩のなかにある「音の柩」とは、長男がヴィオラで奏でた野辺送りの演奏のことである。冬から初夏にかけて、職場から義父の病院を経て夜遅く帰宅する日々、暗い迷路を手探りしながらようやく家に辿り着くように感じられた。そんなわたしを毎日眠りに導いてくれたラヴェルの弦楽四重奏曲に合わせて、視覚・聴覚・触覚・味覚の感覚四重奏曲の詩が生まれた。

   今年の春には母が旅立った。母を見送ったことがわずか4ヶ月前のことだという実感がない。だが旅立ちはそこで完結しないで、残された者の祈りと共鳴しながら導く力を秘めていることが、たしかに感じられる。

   来年はわたしが旅立つ番だ。38年間勤めさせていただいた小学校特別支援学級担任という職を退き、肩書きのない一人の人にもどる。はじめから地位や名誉とは無縁の道を選んできた。来年からは、宇宙の動きや自然の力に感応しながら、社会の流れにもアンテナを張り、音楽に誘われて詩を詠む、それだけがわたしの「仕事」になる。

 今まで温かく支え力をくださった皆様に、心から感謝いたします。ありがとうございました。

                         2010年 晩夏

 

朗読CD「旅立ち」への感想集

 

* CDさっそく聴かせていただきました。なんとも言えない柔らかなお声が心地よく届きます。音楽にのせた朗読を聴くのは初めてですが、とても癒されますね。ありがとうございます。(M・J)

 

* お礼が大変遅くなりましたが、CDありがとうございました。十分には聴けていないかもしれませんが、心に強く響いてきました。(中略)ストレス、焦燥、恨み、怒り、憤りなどなど、心の中に鬱積したたくさんの思いを抱えている者に、いえ、そればかりではなくそのような心の状態ではなく、今が幸せと思っている者にとっても、心に清涼感を与えるものと思います。人は常に新しい旅立ちを日々くりかえしているのでしょうね。(Y・K)

 

* 朗読CD聴かせていただきました。静寂で深夜ラジオのようでした。いつでも先生にお会いできる喜びがありました。保育所のところは、共感できる人達がたくさんいると思います。男の子はお母さんの靴音を今か今かと待っていたのでしょうか。真新しいクレヨンは、おかあさんのせめてものごめんねだったのでしょうか。せつないけれど、親子の絆がしっかり結ばれていて寂しさだけでなく二人の時間を大切に過ごしてきた感じが伝わってきました。(K・M)

 

* これらの詩と音楽の絶妙な組み合わせを何と呼んだらよいのでしょうか?詩のバックに音楽があるのではなく。音楽の解説として詩があるのでもない。詩も音楽も、どちらが主でもなく、どちらが従でもない。まったく新しい種類の芸術です。しかも、読み手のやわらかそうなのどから出る声が安心感をあたえるので、ゲージツに対する構えがいりません。クラシック音楽が苦手のひとは詩にみちびかれて音楽が好きになり、詩がわからないと思うひとは音楽にのせられてわかってしまうでしょう。おどろくべき新しい世界です!(B・K)

 

* 心奥深く浸透する響きにある種の鮮烈を感じました。大切にします。ありがとうございました。(S・K)

 

 

 

  ( ♥ 以上は、寄せて頂きました温かいおことばの中のごく一部です。折に触れこのコーナーで紹介させて頂きますので、ご縁があり朗読CD「旅立ち」をお聴きくださいました皆様、是非当ブログコーナーへご感想をお寄せ下さいませ。お待ちしています。)

 

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