「みんな一緒に卒業!」の意味

 3月19日、昨年3月に退職した小学校の卒業式に参列した。

 6年1組には車椅子で生活しているハナさんがいる。(特別支援学級での個別学習と小集団学習で根を張らせながら、同時に通常学級や学年全体でみんなと一緒に学習をし、幹を太らせ枝や葉を繁らせるという学習形態である。)ハナさんは感情のコントロールが難しいので、お別れの場面などになると号泣では収まらず、それがエスカレートして激しい感情の爆発に至ることが多かった。ところが5年生の秋にあった自然学校最終日、学生リーダーさんとのお別れの場面で、思春期にさしかかった女の子たちがおいおい泣くなか、ハナさんは必死で我慢していた。「なんでみんなあんなに泣くねん。ハナは泣くのんがまんしててんで。」と言ったそうだ。しかしながら、今までお別れ場面に敏感に反応してきたハナさんである。卒業式本番はどういうハプニングが起きるかわからない。本人も周囲も緊張して式に臨んだ。

 2組には自閉症と診断されているダイキさんがいる。小学校入学当時は、児童朝会のときなどに大きな声をあげるのが目だっていた。聴覚が過敏なので、飛行機が飛んだりチャイムが鳴ると、その音に負けないくらいの大きな声を出し、自分の声で苦手な音を消していた。3年生くらいからじょじょに落ち着き、高学年で完全に静かにその場に居ることができるようになっていた。

 2組にはもう一人リカさんがいる。体育会や音楽会の練習など、一旦やる気がでると物凄いエネルギーを出す人で、本番にも強い。しかし嫌だと思うこと、自信のないこと、慣れない場面、慣れない人にはネガティブな反応をしてしまうことがある。組替えをした1学期は、6年2組の教室にも入りにくかったそうだ。

 初めて客の立場で小学校の卒業式を体験できた。ハナさんは、席順の近い男子に車椅子を押してもらって入場した。卒業証書授与で、他の児童は舞台に上がって証書をもらうが、ハナさんの出番のときは、校長が段を降りてハナさんに証書を手渡した。このときも退場のときも、それぞれ別の友だちが車椅子を押して移動を手伝っていた。「旅立ちのことばと歌」のとき、ハナさんは懸命に歌いながらたしかに目を赤くはしていたが、それは周囲の雰囲気に溶け込んみ、胸を打つ姿であった。

 ダイキさんにはまわりの友だちが、立つ場面座る場面、証書をもらいに行くタイミングなどの合図をして練習してきたそうだ。本番ではダイキさんはまわりの動きを見て判断しながら、堂々と一人で証書をもらいに行っていた。儀式の型を正確になぞっているわけではないが、赤い証書ケースを誰よりも大事そうに持っている姿は、完全に仲間のなかに溶け込んで輝いてた。

 式の練習中、担任に名前を呼ばれても返事をせず、恥ずかしくてからだをくねくねさせていたというリカさん。その日はやや照れながらも、ちゃんと舞台に立ち声が出ていた。呼びかけの台詞も、他の誰にも負けない大きな声ではっきり言えた。やはり本番に強い!今ちゃんとしないともう「明日また。」がないことをリカさんが一番よく判っていたはずだ。喜びをかみしめて壇を下りるリカさんの姿に、私もホッとした瞬間肩に入っていた力が抜けた。

 

 一緒に入学し育ってきた仲間と体育会や音楽会、自然学校等一つ一つ山を乗り越えることが、この子どもたちの心の成長のバネであった。それはそばに居る者ならはっきり判る確かな手ごたえである。小学校入学後も、肉体的あるいは精神的知的発達に、他の友だちと違うハンディや問題を抱えてきた3人であるが、あたりまえに援けあい一緒に行動できる居場所があることが、どれだけ子どもたちの励みになってきたことだろう。ダイキさんは入学してしばらくの間「ダイちゃんとお姉ちゃんのがっこ、みーんないっしょ!ダイちゃんがんばりまーす!」という自分へのエールを、時と場を選ばず大きな声で連呼していた。たしかに目だった行動をするダイキさんだが、子どもたちは、それらの行動もふくめて自然にダイキさんの存在を受けとめ温かく見守っていた。周囲の子どもたちにとっても、密度の濃い大切な体験ができた6年間であった。

 基礎学力や体力づくりと並んで、いろんな子どもがいて一緒に支えあう心の教育が、小学校段階では特に大切だと思う。それがあってはじめて学力の質も、点数に直結する丸暗記だけではなく、豊かに創造的に耕されていくはずである。

 もし点数ではじき出される習熟度という一断面だけで「落第」という鞭が振り下ろされ、共に学んだ仲間と切り離される事態が現実のものになるなら、教育は知育一辺倒へ偏向し、子どもたちは落第しないために人のことなどかまっておれなくなり、児童生徒の分断は進められていくだろう。いじめと学校へ行くモチベーションを喪失する不登校の問題がより一層激化することは目にみえている。現にアメリカではすでに実験済みでありとっくに破綻しているという。子どもに寄り添ったことのある者ならだれでも解る哀しい結末である。犠牲になるのは生身の子どもであるだけに、この教育政策が破綻するのを待っているわけにはいかない。