アーサー・ビナード 言葉を疑い言葉で闘う 

 京都岩倉の論楽社の講座・言葉を紡ぐ 記念すべき第101回が4月30日にあった。

講師は詩人、アーサー・ビナード氏である。60名を超える参加者で、畳の部屋はぎっしり埋め尽くされた。若松丈太郎氏の詩を英訳し、対訳詩集「ひとのあかし」に編集されたことで、アーサーさんのことは本ブログでも何度か紹介させていただいている。

  

 米国ミシガン州で生まれたアーサーさんは、中学時代に「戦争を終結させるため、これ以上犠牲者を出さないため、原爆投下は正しい判断だった。」と教えられていた。しかし少年アーサーは、そこで話を完結させなかった。「ではなぜ、8月6日、9日とたて続けに原発を2発も落とす必要があったのだろう?戦争を終わらせるためなら1発で十分だったはずだ。」と疑問が過ぎったという。原爆を落とした国の人から、原爆について話を伺うのは初めての体験である。アーサーさんは、その後原爆・原発にまつわる言葉をつかったトリックやからくりを、今日に至るまで解き明かしてきた。その日のアーサーさんは、詳細なデーターをもとになんと5時間近く語り続けた。

 

 その5時間をこのブログ上で皆さんに要領良くお伝えする力は私にはないが、強く心に残った箇所をご紹介したい。

 

 話の枕に使われたのは、江戸落語「鼻歌三丁矢筈斬り」である。刀工村正の刀はよく切れて、それを手にいれるとやたらに人が斬りたくなり、辻斬りが横行したりするので、妖刀と呼ばれていた。人は一度殺傷能力のある武器を手に入れると、「もっと切れる刀」を目指し 人間の命や生活のことは目に入らなくなる。しかし、アメリカで行われた妖兵器開発の計画と比べれば、辻斬りのための村正の刀のことなどメルヘンと言える。・・・という導入であった。 

 

  アメリカでは太平洋戦争下の1942年、大量殺戮の道具核兵器開発が始まった 。トルーマン大統領が率いる<マンハッタン計画>と呼ばれている税金を何十兆ドルも投じた開発である。アメリカの憲法では、税金の使い道を国民に明らかにしないといけないという条文があったのだが、この核兵器開発は、原爆投下の時まで極秘裏に行われていた。すでに天皇から戦争を終焉させたいという手紙が届いていたにもかかわらず、原爆を日本に慌てて2発も投下しなければならなかった訳は、膨大な税金を投じて開発した原子爆弾を、使わずして戦争を終結させるわけにはいかなかったということだったのだ。憲法違反をして国民の税金を無駄使いした罪に問われるからだ。

 

  広島に投下されたのはウラン爆弾、長崎に投下されたのはプルトニウム爆弾。今まで一口に「原爆」と呼んでいたが、全く種類が違う核兵器である。

 戦後の核兵器開発を支えたのは、「Atoms for peace」「核の平和利用」というキャンペーンだった。核兵器の原料プルトニウムを製造する原子炉は、原爆を造る装置である。それを表だって言えないから、何も核分裂を起こさせなくてもタービンを回すお湯は沸かせるのに、「核の平和利用」の名のもとに原発は存在しつづけた。チェルノブイリ原発事故後も。

 原爆資料館を訪れたとき、核兵器保有国がひと目でわかる世界地図はあるのに、なぜ原発のことは一切触れられていないのか疑問に思っていたのだが、原発の原子炉=原爆装置は、表だって語ってはいけないことであったのだ。

 

 5月6日の深夜2時ごろ、北海道泊3号機を最後に、日本の50基全ての原発は止まった。「原発がなくなると、我々は原始人の生活にもどらなければならない。」と真顔で言ったお役人がいたが、私は今もこうしてコンピューターを打ち続けている。洞窟に文字を刻む生活に戻ることはなかった。しかしこれでやれやれひと安心ということではない。原発再稼動の動きは強まるだろうし、「核のごみの後始末」という問題が残されてしまっている。

 

 ウラン235の半減期は7億年、ウラン238の半減期は40億年以上と言われている。天然の原子炉と呼ばれた太陽から分離して、50億年以上の地球の歴史のなかで、ようやく生き物が棲める星になったのに。なんという膨大な天文学的負の遺産を、人類は負わされてしまったのか。死んだあともえんえんと続く「核のごみ処理」という問題を、子孫に遺さなければならない現代にあって「<責任>ということばは死語になってしまった。」とアーサーさんは語った。

 

 幸い、わたしたちにはことばがあり、それを伝える手段がある。「ねずみ講のように知りえた話を伝えていこう」という話で、アーサー・ビナードさんの講演は終わった。