えくぼ

 私に<えくぼ>という愛称をくれた人がいる。今もお便りの最後に頬にえくぼのある顔を必ずつけて送ってきてくれる。彼とは必ず年に一度お会いする。最初はカヌーやヨットというマリンスポーツを楽しんだりしたが、互いに年齢を重ね最近は映画やカラオケに行く方が多い。彼も若い仲間たちとのイベントや阪神戦の応援等多忙になってきているようで、頻繁に会うというわけではない。それでも互いに満足し、夏の日の再会を楽しみにしている。

 彼と初めて出会ったのは20年前のこと。その時彼は少年だった。9月生まれの彼はまだ12歳になっていなかった。トモさん。5人兄弟の末っ子で、天性のユーモアのセンスがある羨ましいキャラクターの持ち主だった。

 当時K小学校の特別支援学級の6年生だったトモさんとは、転勤したての新担任と生徒の関係であった。彼のお母さんは人間関係プロデュースの達人みたいな方で、毎日連絡帳を通じて日常生活のなかで発見した我が子のトピックスや率直なご意見を発信してくださった。私もそこにトモさんのことを書き綴る。交換日記世代の我々は、連絡帳のアナログ風土がとても心地良かった。

 

 トモさんは誉め上手で「えくぼ~かわいいいねえ~」と、もう何年も「可愛い」など言われたことのない担任を、ちょっといい気分にさせてくれた。わたしの頬からえくぼを取って食べるパントマイムをして「ああおいしい!」とつけ加える。彼はご両親ときょうだいのたくさんの愛情に包まれて育っているので、愛情表現が得意だった。人との基本的信頼のパイプラインがまっすぐつながっていて、誰からも自然に愛情を吸収することができた。

 

 そのトモさんが卒業した後、シホさんが入学してきた。彼女はトモさんと同じダウン症で、先天的に心臓が弱かった。運動するとチアノーゼがすぐ出るので、歩行はやめて小さな赤い車椅子で生活していた。同じような心臓疾患があったダウン症の先輩の成功例もあり、シホさんは1年生の秋に心臓手術を受けることになった。入院する前日、シホさんは習っていた日舞をみんなに観てほしいと強く主張した。クラスメートと担任は、授業をシホさんの壮行会に変え、静かに舞い続けるシホさんの命のメッセージを真剣に受けとめた。

 その手術のあった深夜零時ごろ、電話が鳴った。シホさんのお母さんからの哀しい知らせであった。すぐにシホさんの家に飛んで行くと、顔を白い布で被われてシホさんは眠っていた。さきほどまであったシホさんの体温がまだ布団に残っていた。

 

 シホさんの葬儀から何日かが経過したある日。卒業生のトモさんが紺のブレザーを着こなし、お母さんと大きな花束を持って教室を訪ねてくれた。彼はいつになく意気消沈している担任の頬を指さし、「えくぼは?えくぼ!」と強い語調で言った。それでもにっこりできない元担任の肩をトモさんはハグし、背中を優しく叩いてくれた。その時の私は、どれだけ情けない表情をしていたことだろう。その時だ!トモさんと私が担任と生徒の関係を超えたのは!?ことばを超えて無条件に相手を受け入れ、離れていてもその人のことを想うだけで心の張りと安らぎを得る関係。相手の立場を尊重し、自分のエゴで相手を左右しようとしない関係・・・。

 

 それからも、意気消沈する機会には事欠かない未熟な私である。その度に情けない表情をしている鏡の中のわたしに「えくぼは?えくぼ!」と言う。口角を上げるとどんなに辛いときもえくぼができる。あのときのトモさんのことを思い出し、少し楽になる。

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コメント: 1
  • #1

    yasuhiro (土曜日, 26 5月 2012 22:16)

    回生病院の近くに勤めていた頃、クラスにいたダウン症のいつもニコニコしていたハルちゃんを思い出しました。33人の友達に、いつも声をかけられると
    はにかみながら、かわいいえくぼで答えていました。テトラポットからまだ埋め立てていない海が見えていましたね。きっとエクボには、相手の心を優しくしていまう何かがあるのでは・・・鏡の自分に御褒美を! いいな~