終わらない一滴の旅 

 大飯原発3号機の再起動が始まった。

 

 先週6月29日金曜日、首相官邸前は15~20万人の「再稼動反対!」「野田やめろ!」「野田NOだ!」の声で埋め尽くされた。福井県大飯町でも、6月30日大飯原発再稼動に反対する650人規模の集会やデモがあった。

 その後も引き続き雨の中スクラムを組み座り込む非暴力に徹した市民を、多数の機動隊が力ずくで排除し、7月1日活断層の疑いのある破砕帯の上に建つ原発が起動を始めた。

 

 今まで一般市民・住民の命を危険に晒したり土地を奪ったりする理不尽なことを、政府はこのように最後は警察権力を使って押し通してきたが、今回はそこで簡単には終わらない。これからの日本が、どういう未来を築いていくのかという方向に人々の心のコンパスは向けられている。そして世界中の人々が、福島原発事故を起こした日本の「反原発」「脱原発」の動きに注目している。

 わたしたち一人ひとりは大海の一滴にすぎないが、決して孤立した一粒として干上がらないだろう。

 徹夜で機動隊と対峙していた市民は、機動隊の挑発に乗らず「これからの戦いのために今日はこれで終わります。」という統制のもとにピケを解除したという。今までの例なら、抵抗した人の中から必ず逮捕者が出て裁判闘争に持ち込まれることもあったが、再稼動されてそこで終わるわけにはいかないとそれぞれが肝に銘じているのだ。長い旅がまた始まる。

 

 これからは関西に住む我々も、いつ<第二の福島>が起きるかわからない環境下で生きていかなければならない。

 おいしいコップ一杯の水を飲むとき、そのささやかな幸せに「これが最後の安心して飲める水になるかもしれない。」という影がついてくる。「こうして安心して自分の家で眠れるのも今夜が最後かもしれない。」という不安が湧いてもおかしくない。それは決して被害妄想などではなく、福島で現実に起きてしまっている日常である。

 そしてその厳しい現実に対して日本の政府は解決能力がなく、国際的犯罪である原発事故を引き起こした東電の社長は、罪に問われないどころか補償費や<社員のモチベーションを上げるためのボーナス>も見込んだ電気代の値上げを平然と宣言している。

 医師の家族から聞いたのだが、甲状腺に異常が出た福島の子どもたちのアフターケアどころか、セカンドオピニオンを引き受けるなという通達が医師たちに回っているという。

 

  わたしたちは、事故そのものの恐ろしさと、政府や財界がもたらす二次災害の恐怖も知らされてしまった。

 

 大飯町は今田植えが終わり、水田の緑が瑞々しい。ちょっと背伸びをすれば海が見える美しく静かな町である。

 父が亡くなって34年経つ。父の生家も福井県にある。「おんちゃん」たちにはもう会えないが、従兄たちを尋ね、あのことばの節目ごとにゆっくりビブラートさせて伸ばす語り口を聴きたいと 今切に思う。