世の終わりのための四重奏曲

 10代の頃から敬愛している詩人の石川逸子さんが、所属されている詩誌「兆」を届けてくださるようになった。2012年の2月頃からのことだ。私はペンネームに逸子というお名前を勝手に頂戴し、遠くから憧れていただけの一愛読者に過ぎなかったのだが、原発事故後わたしの内部が急激に動いたのであろう。引っ込み思案の性格もなんのその、こちらから石川さんにお便りを出し、丁寧なお返事を頂き現在に至っている。夭折などしないで60代まで生きてきて良かったとしみじみ思う。その「兆」には石川さんの最新の詩と、小説「道照上人」が載っているので毎回楽しみにしてページを開いている。

 

 今回の石川さんの詩は、いつもと少し違っていた。タイトルの「鳥の音」の隣に小さめの文字で<ーメシアン「世の終わりの四重奏曲・第三楽章」>とあったのだ。

 きっとこのメシアンのこの曲のこの楽章と詩がリンクしているのだと理解した。メシアンは、20世紀のフランス人作曲家である。彼は第二次世界大戦中、ゲルリッツの捕虜収容所に収監されながらこの曲を作曲した。

 メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の三楽章に載せて石川さんの「鳥の音」を朗読すると、予想通り旋律とことばがぴったり合った。

 ナチスドイツは、ピカソなどの前衛芸術家は「退廃芸術」として作品を没収し迫害しているが、フランス軍捕虜として収監されている現代音楽の作曲家メシアンには、作曲と演奏の自由は与えたようだ。

 

 極寒のなかでの先の見えない死と隣り合わせの日々。そしてそこから生まれた音楽は、なんと深く素晴らしいことか!

 決して明るいとは云えない今の<この世>だが、この曲と詩に励まされている。

 

 

やがて 再び 音はしずまり

飢えた 囚われびとたちの肩に つもる雪

クラリネットから かすかに こぼれる 消えない 望み

やせこけた 囚われびと 作曲家の 肩にも つもる雪

              (~石川逸子「鳥の音」より抜粋した最終節)