「他者の悲や苦に寄り添う」ということばは耳なれているが、本当にそうだろうかと最近思う。悲しみと苦しみだけでできている人はいない。どんな辛い境遇にある人でも、目を輝かすことやその人本来の光がある。「悲や苦に寄り添う」ことをつきつめれば、その人の光を発見してそれを共に愛し大切にするところに辿り着くように思う。闇が濃ければ濃いほど、その人が内から発する光は尊い輝きを放つ。
最初に瑠璃さんと会ったのは2011年の秋であった。彼女のことを心配してくれていた友人フミちゃんと共に我が家を訪れたのが初めての出会いである。フミちゃんは誰からも愛されて育ったことがすぐに分かってしまうおおらかで気さくな感じの人であった。瑠璃さんもスマートで、大きな目が印象的な美しい風貌をしているのだが、その時はフミちゃんの陰でうつむきかげんにからだを小さく畳むようにしてすわっていた。
それから3年の間に、追い討ちをかけるように信じられないようなことが次々と彼女の身辺で起きた。私たちの支援が、空振りに終わることもあった。そんななかでも、彼女は自分の命と誇りだけはついに捨てることはなかった。瑠璃さんは3年前、いや数週間前とは別人のように輝きを放つ表情になり、この春から本当の旅立ちをする。誰からも収奪されない自分の為に生きることができる喜びが、今の彼女を満たしているようにみえる。私はもう、彼女を<仮の娘>と呼ばない。彼女もまた、いつのまにか自然に「ただいま帰りました。」と帰宅し、「行ってきます。」と出かけていくようになった。
桜が咲くころ、瑠璃さんはまた「ただいま帰りました」と戻ってきてくれるだろう。
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