お茶の時間

 母の遺品の中に、煎茶のセットがあった。桐の箱を開けると、ままごとの道具のように小さな茶器が入っていた。疲れたときや仕事があるのに眠いときなど、その茶器で新茶を頂いている。熱湯をすぐに茶葉に注がず別容器に入れて冷ますという飲み方は、日本独特らしい。そうすることで、お茶の甘みやうまみが程よく引き出されるのだ。

 母の認知症が進んでからは、仕事が休みの土曜日になると母に会うために大阪府の寝屋川まで可能なかぎり通っていたが、こんな風にゆっくりと湯冷ましを注いで一緒に煎茶を味わうことはできなかった。いつも時間に追われ、気ぜわしい生活をしていたと思う。

 今その償いのように他に誰もいなくても、もう一人の分を注ぎ分けて最後はみんなわたしが頂いている。目の前にいない人とお茶の時間を味わう。時間と心に、あの頃より少し余裕ができたのだろう。このようなささやかな贅沢を再び<敵>と呼ぶときが来ないように、いつまでも大事にできるように祈っている。